御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

四条金吾殿御返事 1116頁 2021年9月度座談会御書(1117頁18行目) 51歳御作

別名「煩悩即菩提御書」 文永9年5月2日、大聖人が51歳のとき、佐渡一谷で著され、四条金吾に送られたお手紙です。4月に佐渡まで大聖人を訪問したことに対するお礼の意味で送られました。大聖人の法門は狭いようで深く天台伝教の法門よりも一重立ち入った本門…

四条金吾殿御返事 1192頁 58歳御作

1279年(弘安2年)10月23日、身延で著され四条金吾に与えられたお手紙です。 四条金吾が暗殺者に襲われながらも、無事に逃げられたと報告したことに対するお手紙です。別名は「法華経兵法事」 四条金吾が強敵と戦って無事だったことは前からの用心と勇気があ…

経王殿御返事 1124頁 52歳御作

文永10年8月15日、佐渡一谷で著され、経王と呼ばれた女の子の両親に与えられた御消息です。以前は四条金吾夫妻の子供が経王と思われていましたし、御消息は四条金吾夫婦あての内容であると思われていました。でも、そこは断定できないと、最近は考えられてい…

千日尼御前御返事 1315頁 57歳御作

別名「雷門鼓(らいもんつづみ)御書」 弘安元年十月というと、その頃の御書をみると、大聖人のご病気がかなり重かった時節である。その時に千日尼が夫の阿仏房を使いとして見舞いがてら種々のご供養をさしあげたので、その時のご返事である。 千日尼御前御…

佐渡で書かれた御書

佐渡に行ってからも大聖人は念仏者たちに命を狙われます。 何も悪いことはしてないのに、島流し。(腹立つわ!時の権力者と邪宗の僧らに) 今朝ちょっと読んだ講義の序講のところ、泣きました。想像して、もらい泣き。 佐渡における大聖人様を守った、たくさ…

阿仏房御書 1304頁 (51歳御作)

別名「宝塔御書」 文永9年説と建治2年説とがある。 阿仏房の質問に対してある程度詳しく、でも、繁雑になるからといって全部はかかれていないところがミソでしょうか。高齢の阿仏房に難しい経文を説くよりも、わかりやすく阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら…

法華証明抄 1586頁 (新版御書1930頁) 61歳御作 

別名「死活抄」 弘安五年二月二十八日、南条七郎次郎時光に与えられた書です。 熱原の法難の波がようやく静まったころで、富士方面の在家の中心者として戦ってきた時光は、その心身の労苦からか前年以来はかばかしくなかった病が急に重くなっていた。内容は…

高橋殿御返事 1467頁

別名を米穀御書という。 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」という有名な一節があります。 地元での戦いを任された私たちは地域に根を張って、仏法を体現し、実証を示していかなくてはいけません。ファイト! 高橋殿御返事 米穀もまた同様に、同…

光日上人御返事 932頁 新1264頁60歳御作

弘安四年(1281年)安房国天津の光日尼に与えられた御消息です。 無間地獄がいかなるものかを述べて、蒙古の責めにあっていることこそ生きながらの地獄であると指摘され、大聖人は苦しんでいる民衆を見て予言が的中し、現証が出たと言いたくないが、あえて後…

東京五輪が終わりましたね。

スポーツの観戦が好きなのでよく見てました。 色々感動しましたが・・・・ソフトボールの金!卓球ミックスダブルスも金!卓球男子団体銀!女子バスケット銀!水泳も、陸上も(男子400メートルリレーはガッカリしましたが・・・バトン渡せないことってあるん…

種種御振舞御書 後半   新版御書で書き直します。 全916頁  新1234頁

前は御書全集で載せていましたが、新版御書で写しています。そのままでも結構わかりやすくなってると思います。 同十月十日に依智を立って、同十月二十八日に佐渡国へ著きぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ、塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のよう…

種種御振舞御書(前半) 909頁~916頁3行目  激動の御本仏の自叙伝!55歳御作

建治二年(1276年)三月、身延で著され、安房国天津(千葉県安房郡天津小湊町)に住んでいた光日尼に与えられた御消息です。光日尼は光日房、光日上人とも呼ばれ、息子の弥四郎の勧めで入信し、純粋な信心を貫きました。のちに弥四郎を失って大聖人から励ま…

六郎次郎殿御書 1464頁 56歳御作

建治三年(1277年)三月十九日、身延で著され、六郎次郎と次郎兵衛に与えられた御消息です。別名を「報二檀越(だんのつ)書」といいます。駿河国富士郡賀島荘(富士市)に住む高橋六郎兵衛入道の弟が六郎次郎です。次郎兵衛とは同じ賀島の大田次郎兵衛であ…

高橋入道御返事 1458頁 

別名を「米穀御書」という。 断簡(書簡の一部分)であるため、いつ、だれに与えられたのか明らかではない御消息です。その内容から高橋兵衛入道への御消息であろうと推定されるためこの題号がつけられています。ただ、高橋入道は病気であり、断定はできませ…