南条時光に与えられた御消息。内容は時光の姪にあたる、石河兵衛入道の娘が亡くなったことの報告を聞かれた大聖人が、石河姫御前が臨終に南無妙法蓮華経を唱えたことを讃嘆され、末法には余経も法華経も成仏得道の法とはならず、ただ南無妙法蓮華経に限ることを明かされて、いっそうの信心を勧められている。
姫御前はたびたび手紙で病気のことを報告していたようで、「この世の中を見ると、たとえ病のない人でも、今年などは無事に過ごせるとは思えないうえ、ましてもとより病身でしたが急に悪くなりました、これが最後の手紙です」と書いた手紙を大聖人に送っている。
前年の建治3年(1277年)秋から日本中に疫病が大流行しており、弘安元年(1278年)10月の御消息で、大聖人は「去年今年は大疫病この国に起こって、人の死ぬこと、大風に木の倒れ大雪に草の折れるようである。一人も生き残るとも思えない」(1552頁)と書かれている。
御書の一節の通解:
臨終の間際に南無阿弥陀仏を称える人は、仏の金言であるから極楽浄土へ往生できると当人も周りの者も思っている。ところが、どうしたことであったか、釈迦は悔い返されて、「未だ真実を顕していない」「正直に方便の教えを捨てる」と説かれたのは驚くべきことである。このことを日蓮がいうならば「虚言である」「あてにならないことである」と日本中の人は怒るのである。
※臨終正念とは死に臨んでも心を乱さず、正法を信じて疑わないことをいう。
「天はまつげのごとしと申すはこれなり、虚空の遠きとまつげの近きと人皆見ることなきなり」明確な文証・理証があるにもかかわらず、信じられない人のことをまつげと虚空に例えられている。念仏無間の法門もあまりにも明確に説かれているために、却ってそれがわからないのである、との意と拝される。