2024-12-01から1ヶ月間の記事一覧
建治27年7月26日 55歳御作 浄顕房 お手紙を頂きました。親しい間柄であるか、疎遠であるかにかかわらず、法門とは、心に受け入れる準備がない方にはお話ししないものです。そのことを十分にご理解くださいませ。 御本尊をご図顕してお渡しします。この法華経…
問う。天台・伝教の弘通されていない正法はあるのか。 答える。ある。 さらに聞く。何だ。 答えていう、三つある。 末法のために仏が留めおかれたものである。迦葉・阿難等、馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通されなかった正である。 さらに聞くが、その具体…
問う。この法が本当に素晴らしいのなら、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、善導が南無阿弥陀仏を勧めて中国に弘通したように、また、恵心・永観・法然が日本の人々を皆阿弥陀仏の信者にしたように、お勧めにならなかったの…
新254頁 全321頁 問う。法華経一部八巻二十八品の中で、何が肝心であるのか。 答える。華厳経の肝心は大方広仏華厳経、阿含経の肝心は仏説中阿含経、大集経の肝心は大方等大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、双観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝心は…
この功徳は、きっと上は三宝より下は梵天・帝釈・日月までが御存知であろう。父母も故道善房の聖霊も助かるだろう。ただし疑い念うことがある。目連尊者は母を助けようと思ったけれども、母の青提女は餓鬼道に堕ちた。大覚世尊の御子だけれども、善星比丘は…
だから、この真言宗、禅宗、念仏宗等が次第にこのように盛んになってきたとき、第八十二代天皇尊成すなわち後鳥羽上皇は、北条義時を滅ぼそうと長年力を注がれていたので、大王である国主である以上、特別なことをしなくても、師子王が兎を屈服させるように…
第28章 新248頁 全319頁 まして、上に挙げた徳の数々には不審がある。 「弘仁九年の春、天下に疫病が流行った」等云々。春といっても九十日ある、何月、何日ぞ(これ不審の一個目)。また「夜変じて日光赫々たり(太陽が光輝いた)」と。このこと第二の大事…
例せば、中国の善導が、始めは密州の明勝という者に出会って法華経を読んだが、後には道綽に出会って法華経を捨て観経(=観無量寿経)に依って疏(じょ=注釈書)をつくり、法華経を「千人の中に一人も成仏しない」、念仏を「十人は十人とも往生し、百人は…
第25章 弘法・慈覚の誤りの証拠 弘法大師は、天長元年の二月、大旱魃のあった時に、まずはじめに守敏(しゅびん)が祈雨して最初の七日間に雨を降らせた。しかし、ただ京の都に降っただけで、田舎には降らなかった。 次に弘法が引き継いで祈ったが七日間雨の…
そういえば、善無畏三蔵は中天(中央インド)の国主であった。(へ~初耳)王位を捨てて他国に行き、殊勝・招提の二人に会って法華経を授けられ、百千の石の塔を立てたので、法華経の行者そのものに見えた。しかし、大日経を学んでからは、法華経を大日経に…
第22章 日本国中が謗法 (全313頁)(新240頁 法滅尽経(←訳者不明だけど、当たってるから引用されたと思います)に云わく「釈尊が亡くなった後、五逆罪の者が充満する濁世に魔道興盛し、魔は沙門(出家者)となって私の教えを壊乱するであろう。そして悪人…
第21章 (新239頁) (全312頁) 弘法・慈覚・智証の誤りならびに禅宗と念仏宗という災いが同時に起こっているのは、逆風に大波が起こり、大地震が度重なるようなものである。それゆえ、次第に国が衰えてきた。太政入道(平清盛)が国を意のままにし、承久の…
第20章 (新237頁)(全311頁) 日本国は慈覚・智証・弘法の流れである。一人として謗法でない人はいない。ただし、事の心を考えてみると、大荘厳仏の末や一切明王仏の末法のようである。威音王仏の末法には、罪を悔い改めた者でも、なお千劫阿鼻地獄に堕ち…
新236頁 ところが、日本国では、比叡山のみ伝教大師の時に、法華経の行者がいらっしゃったことになる。義真・円澄は第一代・第二代の座主である。第一の義真だけは伝教大師に似ていたが、第二の円澄は、半分は伝教の御弟子、半分は弘 法の弟子である。第三の…
(第十八章というのは現代語訳の本の中の立て分けです。やっと半分くらい進みました!) 新版御書235頁4行目から 法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心のごとくならば(趣旨によるなら)、今、日本国には法華経の行者は一人もいないのである。インドには教主…
そもそも法華経の第五巻には「文殊師利よ。この法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中において最もその上に在り」とある。この経文の通りであるなら、法華経は大日経等の一切経の頂上に位置する正しい教えである。なので、善無畏・金剛智・不空・弘…
それゆえ、慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子で、中国に渡って、また天台・真言の明師に会ったけれども、二宗の勝劣は定めきれなかった。あるいは真言はすぐれ、あるいは法華すぐれ、あるいは理同事勝等と言った。宣旨を出していただいたときには、二宗…
慈覚大師(円仁)は承和五年に御入唐。中国で十年間、天台・真言の二宗を習った。法華・大日経の勝劣を習ったところ、法全(はっせん)(略)等八人の真言師には、「法華経と大日経は理同事勝」等と言われた。天台宗の志遠(しおん)(略)等に学んだところ…
真言宗というのは、日本の第四十四代天皇である元正天皇の時代に、善無畏三蔵が大日経を持ってきたが、広めずに中国へ帰った。また玄昉等が、大日経の義釈十四巻を持ってきた。さらに東大寺の得清大徳(とくしょうだいとく)も同書を持ってきた。 これらの書…
(現代語訳 報恩抄 77頁8行目)(第10章の途中からです) この人々(善無畏三蔵ら三人の三蔵のこと)の主張として「華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内で、釈迦如来の説法の範囲である。今の大日経等は大日法王(如来)の勅言である。彼の経…
今日は現代語訳報恩抄の49頁8行目からです。 池田先生だとこういう観点からは講義されないと思いましす。独断と偏見の塊の私が、おもしろいなと思ったところを書いていきます。現代語訳を参考に補足しながら書いていきます。色文字とアンダーバーも入れまし…
報恩抄には沢山の譬え話・故事逸話が出てきます。そこがいいですね。観心本尊抄のように御本尊を説かれた難しい御書でもなく、開目抄のように三徳具備の仏を主張するためのものでもなく、ただ大聖人が亡き師匠を思って書かれたお手紙だと思うと、泣けてきま…