御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

顕仏未来記 509頁 文永10年5月

カレンダーの裏に書いた日蓮大聖人の年表の一部です。

顕仏未来記は佐渡で書かれました。たまに年表が空で書けるといいなと思います。

なかなか頭に残らんので、繰り返し書いてみようと思います。

顕仏未来記は佐渡流罪中に一谷(いちのさわ)で著されました。池田先生もお好きなようでよく講義に引用されています。10月の大白の御書講義はこの御書でした。ちなみに、私も大好きな御書です。

※やっと新しいパソコンが手元にきたのでこれからちゃんとブログが書けると思います。

※今日(10月30日)久しぶりに小グループがあったので、元気が出ました!皆さんお元気でしたが、一人今週の月曜日にワンちゃんが亡くなったそうで寂しそうでした。STBの体験に皆、勇気をもらいました。マスク着用でしたが、全然コロナの心配もなく開催できてよかったです。

さて、顕仏未来記ですが、戸田先生の全集の中にも顕仏未来記の講義があります。短い文章で区切って講義されているので、とてもわかりやすいです。ユーモアたっぷりですしね。これは読んでいただきたいと思います。昭和31年1月17日 中之島公会堂での講義を読みました。これはここに載せて皆さんに読んでもらいたいけど、時間がかかるので、今回はやめときます。

おそらく有名な一節がいくつかあるので顕仏未来記という題名はよくご存じだろうと思いますが、全体を読んだことないわって人が多いかも、と思うので、全体の流れを書きますね。現代文で。「御書を読む」からの抜粋ですけど。

     [要約]

 薬王品に「私(釈尊)の滅後の後、後の五百歳の末法の初めにこの世界に広宣流布して断絶することがないであろう」とある。私(日蓮)は一度は嘆く。なぜ釈尊・天台・伝教のときに生まれなかったかと。また一度は喜ぶ。末法に生まれてこの文を読むことができると。末法について天台は「後の五百歳末法の初めにおいて仏の在世を遠く隔てる妙法の大利益にうるおうであろう」と伝教は「末法がはなはだ近づいている」と。これらは末法に生まれることを願う一節である。

問 末法に生まれているのはあなた一人ではないのにどうして喜ぶのか。

答 末法法華経の行者には必ず難があることを、天台・妙楽・智度・伝教が予言しているからだ。

問 疑って言う。時と機においては末法より正像の時代の方がすぐれているのに、どうして末法を強調するのか。

答 小乗にについていえば正法時代は教行証があり、像法は教行だけあって証がない。末法は教のみあって行証がない。大乗教では教行のみあって証がない。その上、謗法が大地微塵より多く充満している。仏道を得るものは爪の上の土より少ない。また諸天善神は国を捨てている。こういうとき、実大乗の法華経に帰せば、諸天は守護して本門の本尊・妙法蓮華経の五字は世界に広宣流布する。これは不軽菩薩が二十四文字の法華経をもって広宣流布し、杖木等の大難を呼び招いたのと、日蓮が五字を弘めるのと同じである。不軽菩薩は像法の末、日蓮末法の初め、不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫という点で通じるものがあるからである。

問 疑って言う。あなたが末法の初めの法華経の行者であるのは何をもって知ることができるのか。

答 法師品に「まして釈尊滅後には怨嫉が多い」、勧持品に「三類の強敵」の文、安楽行品に「世間のあらゆる人は仏に怨嫉し、正法を信じようとしない」不軽品に「杖木瓦石をもってこれを打ちたたき迫害する」、薬王品に「悪魔、魔神がつけこむ」等の文がある。これらは私以外に身で読んだものはいない。私がいなければ釈尊はうそつきになってしまう。

問 難じて言う。あなたは大慢の法師であって慢心この上ないと思うがどうか。

答 あなたが日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多や無垢論師の罪をも超えているのである。私の主張は仏の未来記を証明し、真実を顕すためである。それなのに謗(そし)るなら、仏の未来記を無駄にすることになり、それこそ大悪人ではないか。

問 疑って言う。仏の未来記はあなたにあてはまっているだろうが、インド・中国にも法華経の行者がいるのではないか。

答 この世に二つの日はなく、王も二人いることはない(ように私一人である)。

問 疑って言う。何を根拠にしてそれがわかるのか。

答 仏法は正像の時代は西(インド・中国)から東(日本)へ、末法は東から西へ弘まるのである。インドはすでに仏法も王法も滅び、中国では小乗は滅び、大乗はほとんどなくなっている。日本から逆に寂照が中国へ大乗を運んだが、伝えもつ人がいなかったので、木石の像が法衣を着て鉢を持っているようで何の役にも立たない。インド中国ではすでに仏教が廃れているのは明確である。

問 それはわかった。では南閻浮提(インド・中国・日本など)以外に仏法がないのはどうしてわかるのか。

答 勧発品第二十八に如来の滅後において、法華経を南閻浮提の内に広宣流布して、永久に断絶させないようにするでありましょう」とある。ここでの内の字は東西南北を嫌う意味がある(須弥山を中心とする古代インドの世界観のうち、仏法が弘まるのは南閻浮提だけとされていた。

問 あなたの未来記は。

答 仏法は必ず東土の日本から出現するはずである。釈尊も主事の大瑞を起こしたが、正像の時にはこれを超える大瑞は起こらなかった。今商家の大地震より今年に至るまでの天変地夭は釈尊の時の大瑞に匹敵している。これは仏のごとき聖人が出現することを示していると知るべきである。これひとえに正法が出現し、邪法が廃絶する大瑞である。天台も妙楽も瑞相について述べている。日蓮はこの道理を覚知して立宗以来二十一年になる。月々日々、この二・三年の間には命に及ぶ難を被り、今年今月には万が一にも死を免れようのない身命である。世間の人はこのことに疑いがあるなら弟子に聞いてほしい。なんと幸いなことであろうか。この一生の内に無始以来の謗法の罪を消滅できるとは。なんと喜ばしいことであろうか。まだお会いしたことがない教主釈尊にお仕えすることができるとは。願わくは、私を亡きものにしようとした国主らをまず最初に導こう。私を助ける弟子たちのことを釈尊に申し上げよう。私を生んだ父母たちには大善の功徳を差し上げよう。

今夢のように宝塔品の心(六難九易)を得ることができた。伝教は「浅きを去って深きに就くは丈夫の心である。この心で天台は法華経を中国に弘めた。そして比叡山の一家(伝教)は日本に法華経を弘通したのである」と。安房に生まれた日蓮は、おそらくは釈尊・天台・伝教から相承し、法華経末法に流通する。三師に一を加えて三国四師と名付けるのである。 

 

太字のところが10月度の御書学習会で学ぶところです。要約にはないところがあったので大白の通解で補いました。

末法法華経の行者は「我一人」だぞということをわからせるための「問」と「答」の掛け合い。どこかで聞いたぞ。立正安国論もそうですし、結構たくさん使われています。法をわからせるためには問と答を自分で言っちゃうのが手っ取り早いんですね。

仏法を知らない人はちゃんとした問すら思いつかないから、大聖人は全部自分で言っちゃいます。御書にいっぱい質疑応答があります。