方便品
真諦 俗諦
是法住法位 世間相常住
迹門 本門
この文は、衆生の心は本来仏なりと説くを常住と云うなり。万法は元より覚の体なり。
<通解>
方便品第二に「是(こ)の法法位に住して、世間の相常住なり」とある、この文についての御義口伝です。御書では右に、(このブログでは上に)註をつけて、真俗二諦に分けて論ぜられていわく、「是の法法位に住して」とは真諦であり、「世間の相常住なり」というのは俗諦である。すなわち真諦である仏法が確立するとき、俗諦である生活も妙法の働きに照らされて、常住となってくる。
また、再往、左(ここでは下)に註をつけて、論ぜられていわく、
この文は「是の法住すれば、法位も世間の相常住なり」と読むことができ、「是の法住すれば、法位も」とは迹門不変真如の理、「世間の相常住なり」とは本門随縁真如の智をあらわし、妙法が根底に住する時、不変真如の理として妙法の当体であった森羅万象ことごとくが、あるべき地位にあって、様々な差別相をとりながらも、自体顕照となり、常住となってくるとの意である。この文は、衆生の生命は本来無作三身の当体なりと説くのを常住といっているのである。森羅万象ことごとくが、久遠元初以来、妙法の当体なのである。
<講義>
「是の法法位に住して」が真諦であり、迹門の立場である。なぜなら宇宙森羅万象が妙法の当体をあらわし、空間の実相を尽くしたものであるからである。
「世間の法常住なり」が俗諦であり、また、本門をあらわす。常住の当体を説き明かし、時間的に実相を尽くした立場であるからである。
「是の法」とは御本尊のことである。法位に住してとは御本尊根本ということであり、一切の生活、行動の根底に御本尊を位置させることである。
「世間の相」とは、男女の差別、年齢の差別、職業の差別など諸の差別のことを世間の相と言っている。(世間とは差別、差があるということである)
「常住なり」とは、その差別の姿のままで御本尊を根本に住した時、久遠元初以来の清浄なる生命を湧現し、最高に個性を発揮し、幸福なる人生を満喫していけるということです。(以下の講義は割愛します)