御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

新池殿 先にスピンオフ

新池殿に宛てたお手紙については、以前(2020年12月9日、10日)にも触れましたが、新池殿についてもう少し掘り下げて理解しておきたいと思います。内容が一部重複するかもしれませんが、ご了承ください。また、その頃は新版御書の発刊前でしたので、御書全集で本文を載せましたし、全文も長くて載せられず、一部だけ現代語訳にしていました。そこで、次回のブログでは新池御書の現代語訳を全部載せたいと思います。

 

新池殿は、妻の新池尼とともに純真な信仰を貫かれていたようです。いただかれた御書は、「新池殿御消息」と「新池御書」の二つで、いずれも大聖人が58歳と59歳の頃に書かれたものです。

 

新池殿は現在の静岡県袋井市新池に住んでいた門下で、「左衛門」や「左衛門尉」と記された文献もあることから、武士であったと推測されます。お子様を亡くされ、その追善供養として三石(約450キロ!この数字で正しいでしょうか)ものお米を供養されました。

大聖人はさっそく題目を唱えられ、お手紙には次のように記されています。

「亡くなられた最愛の御子を霊山浄土へ、『成仏は決定して疑いない』との経文に任せてお送りするためです。」

さらに、大聖人は次のようにも述べられています。

「前世の父母か、昔の兄弟であったゆえに訪問を思いつかれたのでしょうか。また、過去に法華経との深い縁があり、今生において仏となるべき種が熟したゆえに、多忙な在家の身として、公事(荘園制での年貢以外の様々な税や労役)の暇にふと思い立たれたのでしょうか。」

また、遠江国(とおとうみのくに)から身延までの険しい道のりについても、大聖人はこう記されています。

遠江国から身延までの道のりは三百余里に達します。…河の水は矢を射るように早く、大石が流れて人馬が渡ることができません。船も紙を水に浸したように危ない。…道は縄のように細く、木は草のように茂っています。」

こうした厳しい道中について触れたうえで、次のように述べられています。

「このような所に訪ねてきたことは、過去世の因縁でしょうか。」

これは、大聖人が日本中から妬まれ苦難の中にいる身であることを示すとともに、そうした困難を乗り越えて訪れた新池殿の志の尊さを最大限に称えたものと拝されます。

さらに、お手紙の末尾には、次のような言葉が記されています。

「ありがたいことです。ありがたいことです。申し上げたいことは多々ありますが、このほど風邪をひいて苦しいので、これで留めておきます。」

体調が悪く、手紙を書くのも辛い中で、門下の求道の姿勢を称え、励ます大聖人のお言葉に、新池殿夫妻はますます純粋な信仰を貫かれたことでしょう。

 

翌年、新池殿が受け取ったとされる「新池御書」には、次の有名な一節があります。

「例えば、鎌倉から京都へは十二日の道のりです。それを十一日ほど歩いて、あと一日になって歩むのを止めてしまえば、どうして都の月を見て詩歌を詠むことができるでしょうか。」

ここでは、惰性に陥らず慢心を戒め、水が流れるように求道の実践を続けることの大切さを説かれています。また、決意してもすぐに忘れてしまうことの例えとして、雪山の寒苦鳥の説話も引かれています。

このように、「新池御書」については断片的に知っていることも多いかもしれませんが、ぜひ一度、現代語訳でしっかり全体を読んでみてはいかがでしょうか。

 

実は、この御書は私のお気に入りの一つでもあります。好きな御書は何度も読み返したくなりますよね。

次回は、令和7年バージョンとして新しい形でご紹介する予定です。どうぞお楽しみに!