弥三郎殿について少し書きます。
現存するお手紙は一通しかないので、弥三郎さんのことはよくわかりませんが、とりあえず、川奈の船守弥三郎さんとは別人です。
静岡県沼津市の斎藤弥三郎ではないかという説もあるそうですが、その人も誰って感じですよね。御書にその斎藤さんおらんもんね。とにかく、最後の文章から推察すると、弥三郎さんは武士のようだと日蓮門下の本にありました。
このお手紙から推するに、浄土宗の人と法論対決を迫られているとの報告に対するお返事です。
冒頭から弥三郎さんの立場でこう言いなさいという感じで始まっていますから、「是(自分=弥三郎)と思って読んでくださいね。知らずに読むと大聖人のことかと思っちゃいますね。違うからね。
「自分は在俗の身で仏法について深く知っているわけではないが、日蓮大聖人から教わった法門で、自分でも納得し大事なことと思ったことは、法華経譬喩品に説かれている、釈迦仏こそ三徳具備の仏であるという点である」と言いなさいということです。
途中にこういうことが書いてありますね。およそ信仰とは無縁の悪人は、もともとどんな仏をも拝まないから、正しい仏を差し置いて誤った仏を拝むという仏法上の極悪業を犯す恐れはない。むしろ、はるかに軽い世間的悪業にとどまるのである。また、世間的悪故の苦悩の中から、正しい信仰につく可能性もある。
それに対し、いわゆる一見善人と見える人々は、世間一般の風潮に従順であるから、国をあげて信仰している阿弥陀仏信仰から離れることが難しい。
さて、ここから私の感想です。
日本人は得てして大勢がやってる方になびいてしまうという風潮がありますね。自分でいいものか悪いものか、あんまり考えへんのやね。考えなあかんで!って思うことも考えへんのよ。
例えば、選挙の時によく、変な党に風が吹いてしまって、とんでもない事になってしまうことがよくありました。それやな、ほんまやと思うでしょ。あとの事も考えてない。そこに任せてええのかってよくよく調べ倒して、考えて投票してるのか。まあ、考えてないから、日本て変な風よく吹くんやわ。
子供の時から、自分の考えをちゃんと言えるような教育をしてないってことやね。最近は知らんけど、昔は自分の意見をいう授業はほとんどなかったね。だから、社会に出ても上から言われた通りやっとけばいいみたいな職場になってる。
もちろん、そうでないとこもあるのはわかりますけど、大体日本人緩いからね。人に悪く思われたくない人種やし喧嘩もほとんどしないね。ええことやけどね。
「ちょっとそれ違う思います」っていうの勇気いるけど、言えたら偉いと思うよ。だから、ちゃんと自分が正しいと思うこと発言してね。黙ってるのは、良くないよ。自分に自信を持とうね。権力に負けて言えなくなるっていうのはいかん。権力者ほど間違ったことよく言うてる。正義感というものを大事にせなあかん。正義感のない政治家のじじいが多すぎる自民党!って叫ばなあかんで。笑
あら、今回も脱線してしまいましたか、すみませんね。
日本人のいい意味での国際化を推進したいです。堂々と自分の意見をいう人種になりましょう!
弥三郎さんに、今笑われたかも。僕の話ではなくなってる、って。