建治・弘安期。 西山殿への短いお手紙です。
〈新版御書の本文〉
としごろ後生おぼしめして御心ざしおわすれば、名ばかり申し候。同行どもにあらあらきこしめすべし。やすきことなれば、智慧の入ることにあらず、智慧の入ることにあらず。恐々謹言。
一月二十三日 日蓮 花押
〈現代語訳〉
長い間、後生(来世)についてお考えになり、その御志をお持ちであるため、一応このように申し上げます。同行の者たちにお考えを簡単にお伝えください。(来世の成仏)これは難しいことではなく、特別な智慧が必要なわけでもありません。特別な智慧が必要なわけではないのです。謹んで申し上げます。
西山殿御返事
〈説明〉
「後生(来世)」や「来世の成仏」に関する心構えについて述べています。「としごろ後生おぼしめして御心ざしおわすれば」という部分では、すでに長い間、後生について深く考え、信仰心を持っていることが強調されています。
「やすきことなれば、智慧の入ることにあらず、智慧の入ることにあらず」という表現は、「来世で成仏することは決して困難ではなく、特別な知恵や能力が必要なわけではない」という意味で、つまり、成仏の道は難解で複雑なものではなく、信仰心や真心、そして法華経に基づいた行動によって誰にでも可能であるということを伝えています。