御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

立正安国論で私が好きな一節

帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。しかるに、他方の賊来ってその国を侵逼し、自界叛逆してその地を掠領せば、あに驚かざらんや、あに騒がざらんや。国を失い家を滅ぼさば、いずれの所にか世を遁れん
 汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を禱るべきものか
 なかんずく、人の世に在るや、各後生を恐る。ここをもって、あるいは邪教を信じ、あるいは謗法を貴ぶ。各是非に迷うことを悪むといえども、なお仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力をもってみだりに邪議の詞を宗めんや。もし執心翻らず、また曲意なお存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん。

 

〈現代語訳〉

天子(国のリーダー)は国を土台として世の中を治め、家臣たちは田畑を治めて社会を支えています。ところが、外国の敵が攻めてきて国を侵したり、国内で反乱が起きて土地が奪われたりしたら、驚かずにはいられないし、混乱しないわけがありません。

国が滅び、家が壊れてしまったら、いったいどこに逃れられるというのでしょうか。

ですから、もしあなたが自分の身の安全と平和を願うなら、まず何よりも「国全体が平和であること」を祈るべきです。

特に、人としてこの世に生きる以上、誰しも死後の行く末を恐れるものです。だからこそ、多くの人は誤った宗教を信じたり、正しい仏法をそしる教えをありがたがったりしてしまうのです。

それぞれ「正しい」「間違っている」と迷うことを避けたいとは思っていても、結局は仏法に帰ろうとせずにいます。これは本当に悲しいことです。

どうして、同じ「信じる」という心を使うのに、むやみに間違った教えを信じようとするのでしょうか。

もし、執着する心を変えず、曲がった考えを持ち続けるなら、早晩この世のすべてを失い、間違いなく地獄に堕ちてしまうでしょう。

 

立正安国論の中で私が好きな一節の一つです。

「汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐(せいひつ)を禱(いの)るべきものか。」

(あなたが自分の身の安全と平和を願うなら、まず何よりも「国全体が平和であること」を祈るべきです。)

 

〈大阪のおばちゃんのひとり言です〉

ロ国の人殺し大統領と北のミサイル大好き将軍が握手する姿は、将棋で言ったら最悪の中の最悪手です。これからどんな戦争が起きるのか、怖いです。平和のために兵器を開発する必要はないじゃないですか。兵器、武器、核をなくしてこそ、平和のために話し合える。武器を使ってどうやって平和を築けるっていうんや。何やっとんねん。もっと人類が平和に共存できることを考えて協力しあわないとあかんで。地球も弱ってきてるねん。温暖化でフーフーいうてるのは人間だけじゃない、地球もフーフーいうてるはず。大事に住んであげないと終いに爆発するで。自分の国だけ平和やったらええというのは間違ってる。だから、今日はこの御書を書きたかったんです。