御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

報恩抄 スピンオフ①

報恩抄には沢山の譬え話・故事逸話が出てきます。そこがいいですね。観心本尊抄のように御本尊を説かれた難しい御書でもなく、開目抄のように三徳具備の仏を主張するためのものでもなく、ただ大聖人が亡き師匠を思って書かれたお手紙だと思うと、泣けてきますね。泣けない?泣くとこなかったか。日蓮を護りきれなかった師匠よ、地獄に堕ちるんじゃねーぞとか、地獄に堕ちてたら救ってやるぞとか、言いたくなる気分で書かれたか・・・・知らんけど・・・でも、その中に邪教への破折がしっかり書かれていて、道善房だけでなく、末法未来の法華経を継ぐ私たちへの教えもちゃんと書かれている。

 

さて、冒頭から、気になったたとえ話や故事逸話など拾って書いていきたいと、思います。本文、現代語訳、どっちも適当に書いていくので、楽しんで読んでもらえればいいかなというスタンスです。(笑)

やっと頭が正常になってきたので、病み上がり一発目という感じです。変なところがあってもそこは大目に見てくださるとありがたいです。

 

報恩抄の冒頭からいきますよ。

 夫れ、①老狐は塚をあとにせず、②白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すら、かくのごとし。いおうや人倫をや。

 

①キツネは生まれた丘(塚)を忘れず、死ぬ時は古巣のある丘の方へ頭を向けるという中国の故事。

②毛宝が川へ行くと、白い亀は漁師が一匹の亀を釣ったのを見た。毛宝は憐れんで、漁師から亀を買って、川に放してやった。毛宝は十年余りの間、城の守備の任についていたが、石虎将軍と戦い、敗れて川に身を投げた。足で何ものかを踏んでいると、次第に浮かび上がって川岸に着いた。毛宝が見ると、なんと、昔、放してやった白い亀であったという。(中国の故事に基づいた説話)

 

されば、③古の賢者・予譲といいし者は剣をのみて智伯が恩にあて、④弘演と申せし臣下は腹をさいて衛の懿公(いこう)が肝を入れたり。

いかにいおうや、仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。

 

③晋の人である予譲は、趙襄子(ちょうじょうし)によって滅ぼされた主君・智伯の仇を討つために、我が身を傷つけて容貌を変え、炭を飲んで声を変えるなどして別人になりすまし、趙襄子に近づこうとしたが、見破られて仇討ちを果たせなかった。予譲は剣に伏して死んだという。(史記の中の故事)

④弘演が使者として国外に出かけている間に、異民族が衛国を攻め主君の懿公(いこう)を殺してその肝臓だけを置いた。弘演は、天を仰いで号泣して悲しみ、自らの腹を割いて懿公の肝臓を入れて死んだという。


 この大恩に報いるには必ず仏法を習い究め、智者となって可能になるのではないか。譬えば、⑤衆盲をみちびかんには生盲の身にては橋河をわたしがたし、⑥方・風を弁えざらん大舟は諸商を導いて宝山にいたるべしや。

⑤目の不自由な人たちを導く場合に、自分自身が目が見えない身であっては、橋や河で人々を渡すことはできない。

⑥方位や風がわからない大船は、商人たちを導いて宝の山まで到達することはできない。

(中略)

⑦比干が王に随わずして賢人の名をとり、⑧悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりし、これなり。

⑦殷の最後の紂王が妲己(だっき)を溺愛し国が滅びようとしていた時、おじに当たる比干が紂王を強く諫めたが、紂王は聞き入れず、かえって比干を殺し、その胸を割いたという。

釈尊の父である浄飯大王は釈尊の出家に反対したが、釈尊が成道後に迦毘羅衛国(かぴらえこく)に帰還した時、仏法に帰依した。


(中略)

 

したがって、法華経の文を開き奉れば、「この法華経は、諸経の中において最もその上に在り」等云々。この経文のごとくば、⑨須弥山の頂上に帝釈天がいるように、⑩転輪聖王の頭上に如意宝珠があるように、⑪多くの木の梢に月がかかるように、諸仏の頭上に肉髻(にっけい)のように肉が盛り上がっているように。この法華経華厳経大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠である。されば、専ら論師・人師をすてて経文に依るならば、大日経華厳経等に法華経の勝れ給えることは、太陽が青空に出現した時、眼あきらかなる者(物事の道理がわかる人)が天地を見るように、高下宛然である(天は上で、地は下だとすぐわかるようにはっきりしている)。 

また大日経華厳経等の一切経をみるに、この経文に相似の経文、一字一点もなし。あるいは小乗経に対して勝劣をとかれ、あるいは俗諦に対して真諦をとき、あるいは諸の空・仮に対して中道をほめたり。譬えば、小国の王が我が国の臣下に対して大王というがごとし。法華経は諸王に対して大王等と云々。
 (中略)


 法華経の法師品に、釈迦如来、金口の誠言をもって五十余年の一切経の勝劣を定めて云わく「我が説くところの経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。しかもその中において、この法華経は最もこれ難信難解なり」等云々。この経文は、ただ釈迦如来一仏の説なりとも、等覚已下は仰いで信ずべき上、多宝仏東方より来って「真実なり」と証明し、十方の諸仏集まって釈迦仏と同じく広長舌を梵天に付け給いて後、各々国々へ還らせ給いぬ。「已今当」の三字は、五十年ならびに十方三世の諸仏の御経一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説かせ給いて候なり。十方の諸仏この座にして御判形を加えさせ給い(保証のために署名された)。それなのに、各々また自国に帰って自分の弟子等に向かって「法華経に勝れたる御経あり」とお説きになったら、その弟子等は信用するだろうか。
 また、自分は見ていないからというので、月氏・竜宮・四天・日月等の宮殿の中に法華経に勝れた経があるかもしれんやんと疑ってくる。それならば、梵釈・日月・四天・竜王は、法華経の会座にはいなかったというのか。

もしも、日天・月天等の諸天が、「法華経より勝れた御経がある。あなたは知らないのだ」と仰せられるならば、大うそつきの日天・月天であるに違いない。日蓮責めてこのようにいう。「日月は大空に住んでいらっしゃるが、我らが大地に住むように空から落ちてくることがないのは、絶対に嘘はつかないという最高の不妄語戒の力によるのである。法華経より勝れた御経があるとなどという大妄語があるならば、恐らく、いまだ壊劫(世界が壊滅する時代)にいたらないうちに、大地の上にどうっとおちてしまうのではないか。無間地獄の最も下にある堅固な鉄の層でなければ停止することはないであろう。大うそつきの人は須臾(一瞬の間)も空にあって四天下を廻ることはできないに違いない」と。

それにもかかわらず、華厳宗の澄観等、真言宗の善無畏・金剛智・不空、弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等、「華厳経大日経等は法華経に勝れたり」と主張されたら、私たち程度の者が判断できることではないけれども、誰もが認める大道理に基づいて考えていけば、どうして諸仏の大怨敵ではないということがあるだろうか。彼らと比べれば、提婆・瞿伽梨もものの数ではない。大天・大慢、外にもとむべからず。このような人々を信ずる輩は、おそろしい、おそろしい。
 問うて云わく、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の善無畏乃至弘法・慈覚・智証等を仏の敵とおっしゃるのか。
 
 答えて云わく、これは重大な論難である。仏法に入って最重要の問題である。私の愚眼をもって経文を見ると、法華経より勝れた経があるという人は、たといいかなる人であっても、謗法は免れないと説かれている。しかるを、経文のごとく言うなら、どうしてこれらの諸人が仏敵でないことがあるだろうか。もしまた恐れをなして指摘しないなら、一切経の勝劣はないも同然となってしまう。

 

またこの人々を恐れて末流の人々を仏敵と言おうとすると、それぞれの宗派の末流の人々は「法華経よりも大日経が優れているというのは、私たちの個人的な考えではない。祖師の御義である。戒行の持破、智慧の勝劣、身分の上下はあっても、学ぶところの法門は違うことがない」というので、彼の人々に罪はない。

また、日蓮これを知りながら人々を恐れて申さなければ、「むしろ身命を失っても、教えを隠してはならない」との仏陀の諫暁を用いない者となってしまう。どうしたらいいのか。いわんとすれば世間の迫害がおそろしい。止めんとすれば仏の諫暁からのがれがたい。進退ここに谷(きわ)まれり。
 むべなるかなや(こうなるのも当然ではないか)。法華経の文に云わく「しかもこの経は、如来の存命中ですら、なお怨嫉が多い。いわんや滅度して後をや」。また云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。


 釈迦仏を摩耶夫人がご懐妊なさったとき、第六天の魔王は、摩耶夫人の御腹を透視して、我らの大怨敵である法華経と申す利剣を身ごもった。事の成ぜぬ先に(生まれる前に)何とかして亡き者にすべきだ。第六天の魔王は、名医と姿を変えて浄飯王宮に入り、御産安穏(安産)の良薬を持っている名医がおりますと声高に宣伝して、毒を后に差し上げた。産まれた時は石を降らし、乳には毒を混ぜた。城を出られたときには黒き毒蛇と変じて道にふさぎ、乃至提婆・瞿伽利・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入って、あるいは大石をなげて仏の御身より血をいだし、あるいは釈子(釈迦族の人々)を殺し、あるいは御弟子等を殺した。

これらの大難は皆、遠くは法華経を仏世尊に説かせないでおこうと企んだものであり、「如来の存命中すらなお怨嫉多し」の大難にほかならない。これらは遠き難である。

近き難では、舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年の間は、法華経の大怨敵に含まれるのである。
 「いわんや滅度して後をや」と申して、未来の世にはまたこの大難よりもすぐれておそろしき大難あるべしととかれている。仏でさえも忍びがたかった大難を、凡夫はどうやって忍ぶべきか。まして、在世より激しい大難であるというのである。どのような大難か。提婆が長三丈広さ一丈六尺の大石、阿闍世王の酔象を超えるだろうかとは思うが、それ以上であるというのであるから、わずかの過失もないのに大難に度々あう人こそが、釈迦滅後の法華経の行者であるとわかるのである。(49頁)

 

【今日はここまでにしておきます。】

 

最初わかりやすいようにと思って、故事とたとえ話を文字を色分けしていたのですが、途中からわけわからんようになってきた。もう、ほんま適当ですみません。いくつあるか番号もつけてたけど、故事と譬え話とごちゃごちゃになっちゃって、もはや分類できない。それから赤い字は大事だなと思ったところです。また、うまく色分けして整理できたらいいのですけど、適当でごめんなさい。