御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

三沢抄 新2010頁 全1487頁 2025年バージョン

大好きな三沢抄をもう一度、読みました。以前ブログに書いた時は、ちゃんと現代語訳にしていないところがあったので、今回は全部わかりやすい日本語に変えています。

 

手紙の概要と内容

  1. 贈り物への感謝と教えの重要性

    • 日蓮大聖人は、柑子(みかん)や海苔などの贈り物を山中まで送ってくれたことに感謝しています。同時に、仏法を学ぶ者には深い理解が必要であると強調します。仏になることは非常に難しく、知識や師の教えがあっても、心が正しくなければ成し得ないと述べています。
  2. 三障四魔と七大障魔

    • 仏になるためには、様々な障害(障魔)を乗り越える必要があると説きます。中でも「第六天の魔王」が引き起こす第七の障魔が最も大きな試練であると述べ、これを克服することの難しさを説いています。
  3. 日蓮の使命と法華経の重要性

    • 日蓮大聖人は、自身を法華経の行者として位置付け、末法の世に仏法を広める役割を果たしていると述べます。仏法の真髄を知り、それを広めることが自身の使命であると確信しています。
  4. 仏法に対する姿勢と忠告

    • 弟子や支持者に対して、法華経を捨てることがあっても彼らを見捨てることはないと断言します。また、法華経の教えを正しく理解しない者たちの危険性についても注意を促しています。
  5. 真言宗や他宗派への批判

    • 特に真言宗が日本や中国の国土を滅ぼす原因となったと厳しく批判し、誤った教えが国主や民衆に影響を与えてきたと非難しています。
  6. 世の中の動向と予見

    • 疫病や戦争を時代の兆しとして捉え、日本の国が滅亡の危機にあると警告しています。このような状況を変えるために法華経の教えを広める必要性を訴えています。

〈御書本文現代語訳〉

みかん100個や昆布、海苔などの生ものを、遠く山中までわざわざ送っていただきました。また、尼御前からは小袖をいただきました。さまざまなご厚意に深く感謝しております。

さて、いろいろおっしゃっている内容について詳しく拝見しました。そもそも仏法を学ぶ人は大勢いても、真に仏となる人は、爪の上に乗るわずかな土ほどに少ないと、大覚世尊が『涅槃経』で説かれています。この教えに触れた日蓮も、どうしてこんなにも難しいのだろうと考え、納得することがあります。仏法を学んでいても、自分の心の愚かさや偏りに気づかないことが原因で、仏教を正しく修学し理解することができないのです。

たとえ立派な師匠や教えに出会えたとしても、仏になろうとする過程では、必ず三障四魔と呼ばれる七つの大きな障害が立ちはだかります。この七つの障害のうち、六つを乗り越えられても、最後の一つに打ち負かされてしまえば、仏になることは難しいのです。

これら六つの障害は一旦置いておくとして、第七の障害は「天子魔」と呼ばれるものです。もし末法の凡夫が一代聖教の真意を悟り、『摩訶止観』という重要な経典の教えを理解し、仏になる道を歩み始めたならば、第六天の魔王はそれを見て驚き、こう考えます。「これは大変だ。この者がこの国にいる限り、自ら生死を超えて仏となるだけでなく、人々を導き、この国土を浄土に変えてしまうかもしれない。それでは困る。どうしたものか」と。そして、欲界・色界・無色界の全ての仲間を呼び集め、こう命じます。「それぞれの力に応じて、あの行者を苦しめてみよ。それで失敗した場合は、彼の弟子や支持者、さらには国民の心に入り込んで、諫めたり脅したりしてみよ。それでもダメならば、私自ら国主の心身に入り込んで脅してやる。それで思い止まらないことがあるだろうか」と。

日蓮は以前からこのようなことがあるだろうと予測していました。末法の凡夫が今世で仏になることは非常に困難であり、釈迦が仏となった際にも第六天の魔王が起こした大きな障害を、どうして耐え忍ぶことができたのか、不思議に思っていました。

提婆達多や阿闍世王の悪事も、すべて第六天の魔王の計略によるものと考えられます。ましてや、釈尊が「如来が現世にいる時でも怨み嫉む者が多い。滅度後はなおさらである」と説かれた通り、釈尊の時代でさえ耐えがたい困難があったのです。凡夫の身である私には、そのような困難は片時でも耐え難いものです。まして、五十年以上にわたる様々な困難を考えればなおさらのことです。まして、末法にはそれらの困難が百千万億倍にも増すと言われています。そのような大難をどうして忍ぶことができるでしょうか、と心の中で思っていました。

「聖人は未然を知る」と言われるように、未来の出来事を知るのが真の聖人とされています。しかし、私は聖人ではありませんが、日本国がこの時代に滅びようとしていることを以前から知っていました。これは、仏が法華経の中で「滅度後に起こる」と予言された内容に一致しています。これを知りながら黙っているならば、次に生まれ変わる時には唖(おし)や吃(どもり)として生まれ、また釈尊の大敵となるでしょう。さらにはその国の国主の敵ともなり、最終的には無間地獄に堕ちることになるでしょう。そのようなことを恐れ、たとえ衣食に困り、親兄弟や師匠、仲間たちに諫(いまし)められ、国主や民衆に脅(おど)されたとしても、少しでも迷う心があるならば、法を語ることはやめようと考え、日頃から自らを戒めてきました。

「遠い過去の劫(ごう)の昔から法華経と縁を結び、菩提心を起こしていたかもしれない。しかし、たとえ一つ二つの困難を乗り越えたとしても、大きな困難が次々と訪れると退転してしまったのではないだろうか。今回はどんな大難があろうとも決して退転しない覚悟があるならば語り出そう」と心を決め、話し始めました。そして、経文に違わず、次々と大難が訪れました。

今は心が定まり、どんな大難にも耐え抜こうと決意しています。身延の山林に住み、すべての疑問が解消されたことを実感しています。あなた方は、たとえ法華経を捨てるようなことがあっても、一日片時でも私の命を助けてくれた方々ですから、他人のように思えるはずがありません。私はもとより一人の身ですから、どうなろうと構いません。もし私がどんな困難にも心を変えず、仏になることができたなら、必ずやあなた方を導くことを約束しました。

 

しかし、あなた方は私ほど仏法を深く知っているわけではなく、在家の立場であり、財産や妻子、従者などがあり、全てを貫き通すことは難しいでしょう。ただ、愚かなふりをして、私が申し上げた通りに進んでください。決して見捨てるようなことはありません。何事も疎かにしないようにしてください。

また、法門については、佐渡へ流される以前に語った内容は、ただ仏の爾前経と考えてください。この国の国主が世を保とうと考えるならば、真言宗の師たちとも議論が交わされるでしょう。その時に、真実の大事を伝えるつもりです。ただし、弟子たちにさえ内々でも明かすことがなかったのは、そのことが他人の知るところとなれば、必ず疎遠になり、会うことすらできなくなるだろうと思ったからです。

しかし、文永8年(1271年)9月12日の夜、竜の口で斬首されそうになった時からは、私に従う人々に真実を伝えずにおくのは哀れだと思い、佐渡の国で弟子たちに内々に法門を申し伝えました。この法門は、仏以後、迦葉(かしょう)や阿難、竜樹、天台などの大論師たちが知りながらも心に秘め、口に出さなかったものです。なぜなら、仏が「末法の時代に入らなければ、この大法を語ってはならない」と制約されたからです。

私はその御使いではありませんが、その時節に当たるため、この法門を理解しました。この法門が現れる時、正法・像法の時代に説かれた教えや寺院の霊験は、日の出後の星の光のようにかすむでしょう。そして、この大法のみが世界に広まると説かれています。あなた方は、このような法門に縁を持つ人々ですから、自信を持って進んでください。

さらに内房の尼御前についてですが、お年を召してお越しになり、気の毒には思いました。しかし、氏神に参詣するついでに私に会うというのでは、主君を軽んじるようなものです。また、尼の身であるならば、まず仏を第一にすべきです。そのため、お会いしなかったのです。この件は尼御前一人に限らず、他の方々も同様に、何かのついでという形ではお断りしています。尼御前は親のような年齢であり、お嘆きの気持ちは理解していましたが、この法義を伝えるための決断でした。

また、殿についてですが、一昨年お会いした後に、ご病気という噂を耳にしました。その際、使者を遣わせようと考えましたが、「御志が真直ぐであれば、病気の時はすぐ使者が来るだろう」と思い、そのままにしていました。しかし、御便りをいただき、お元気であることを知って安心しました。尼御前にもこのことをお伝えください。

さて、この法門について詳細を書き伝えようとしましたが、あまりにも長くなるため、詳しい説明は割愛しました。

禅宗念仏宗律宗などについては少し前にも述べましたが、特に真言宗がこの日本と中国を滅ぼす原因となっています。善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、弘法大師、慈覚大師、智証大師の六人は、大日経の三部経と法華経の優劣を見極められずに迷いました。それだけでなく、インドから伝えられたとして、金剛界胎蔵界という二つの教義を作り出し、人々を惑わせました。そして三大師はその教えに騙され、それを日本に伝え、国の主や庶民に広めてしまったのです。

中国の玄宗皇帝もこの影響で国を滅ぼしました。同様に、日本も徐々に衰退していきました。その結果、八幡大菩薩が約束した百代にわたる天皇の統治も破られ、八十二代目の天皇後鳥羽上皇)は隠岐に流され、政権は鎌倉幕府に奪われました。この事態は、三大師の教えを受け継ぐ大僧たちが祈祷を行った結果、自らの行為が報いとして返ってきたのです(還著於本人)。

鎌倉幕府はこの悪しき教えと悪人たちに対抗したため、十八代にわたり天皇の統治を守るはずでした。しかし、再び悪しき教えの者たちに帰依してしまったため、国は主を失いました。そのため、梵天帝釈天・日天・月天や四天王が計らい、外国(元)の勢力を通じて日本を脅かしているのです。

また、法華経の行者を遣わして警告しましたが、その警告に従って対処することはありませんでした。それどころか、悪しき僧たちと心を合わせ、世俗の政治も仏教の教えに基づく統治も壊してしまい、法華経の大敵となりました。このような状況の中で、すでに時が過ぎ、この国は滅びようとしています。

疫病が戦乱に先駆けて広がっているのは、その兆しです。なんとも嘆かわしいことです。

二月二十三日    日蓮 花押
 みさわどの

くれぐれも駿河の人々は皆、心をひとつにして物事に取り組むようにお伝えください。(→御書全集では手紙の冒頭にありましたが、新版御書では追伸のように載せられています。)

 

〈挨拶〉

「世界青年学会 飛翔の年」あけましておめでとうございます。

新年も、明けてもう4日目ですね。

昨日は創大駅伝7位シード権獲得おめでとうございます。

今年は大地震もなく大きな事故もなく、いいお正月でした。

うちは長男夫婦が急に体調悪くなり、帰って来れなくて寂しかったです。年末27日から帰省していた次男も昨日帰っていき、また夫婦二人の生活です。長女も年末から風邪ひいて来れなかったです。お父さんとお母さんが元気でよかったわと、次男が帰る時言ってくれました。

 今年も健康に気を付けて年末まで突っ走るぞ!と心だけは青春です。もうじき70歳だ。元気な先輩達も、最近あまりお会いする機会が少なくて寂しいです。コロナ禍以降めっきり大幹部に会う機会が減りました。いてはるだけでこっちも安心して戦えたって思う幹部の人たちは何処へ。

 

今年はシニア部も飛翔しましょうね。昇天ではないですよ。(苦笑) 今年もブラックな冗談いうかもです。

後輩と御書の勉強するつもりでおりますが、どうやっていくかはまだわかりません。楽しみです。

皆さんもどうか飛躍、飛翔の年でありますようお祈りいたします。

今年もよろしくです~

 

1月号の大白蓮華の御書になっていますね。知らずに書きました。気が合うな~

1月12日、次女と話をしながら大白を開いてみて、びっくりしました。

今年は大白蓮華も読みこんでいかないとな~~なんと充実した紙面でしょう!

地区で大白蓮華読了運動でもやったどうですか?もうやってる?流石です~!