こんにちは。6日ぶりの御書です。何の御書を書こうかと思っていましたが、
5月の座談会御書が「単衣抄」らしいので、「単衣抄」は前にも本文だけ載せていたのですが、今回は現代文にして載せますね。
法華経の行者であられる日蓮大聖人が、
厳しい修行生活の中で受けた、たった一枚の衣の供養について、
心からの感謝と、はかり知れない功徳を述べられたお手紙です。
生きることさえ困難な中で受け取った、たった一枚の布が、
どれほど深い信仰の光となり、永遠の福徳につながっていくのか。
私たちが日々の中で交わす小さな善意もまた、
無量の功徳になることを教えてくださっています。
単衣(ひとえ)抄 現代語訳
単衣(ひとえ、薄い着物)を一領、送ってくださいました。たしかに受け取りました。
棄老国(きろうこく)では年老いた人を捨てたと伝えられますが、今の日本国では、法華経の行者を捨てています。
そもそもこの国は、天地開闢(てんちかいびゃく:天地が開けたとき)以来、天の神々七代、地の神々五代、人間の王が百代続いてきました。神武天皇以来九十代、また欽明天皇の時代から仏法が伝わって、すでに六十代、七百年余りの時が経っています。
この長い歴史の中で、父母を殺した者、朝廷に反逆した者、山賊・海賊など、数多く存在しましたが、法華経を理由に、私・日蓮ほど人々に憎まれた者はいませんでした。
時には、王(権力者)に憎まれても民衆には憎まれず、僧侶に憎まれても一般の人々には憎まれず、男に憎まれても女には憎まれず、愚かな人に憎まれても賢い人には憎まれない――ということはありました。
しかし、私は、王だけでなく民にも、男にも女にも、僧侶にも尼僧にも、愚かな人にも賢い人にも、善人にさえも憎まれています。
これは前代未聞のことであり、未来にもこのようなことは起こらないだろうと思われます。
そのため、生まれて三十二歳から今年五十四歳に至るまで、二十年以上の間、
あるときは寺院を追い出され、あるときは住む場所を追われ、あるときは親類にまで迷惑をかけ、あるときは夜襲を受け、あるときは戦いに巻き込まれ、悪口は数えきれず、あるときは打たれ、あるときは手に傷を負い、弟子を殺され、首を切られそうになり、二度も流罪にされるなど、苦難の連続でした。
この二十数年間、一時も片時も、心安らかなときはありませんでした。
かつて源頼朝が七年にわたって戦った合戦にも、多少の隙間はあったでしょう。
源頼義が十二年にわたって続けた戦いも、どうしてこの苦しみに及ぶでしょうか。
法華経の第四章(方便品)には、「如来(仏)がこの世にいらっしゃったときですら、なお怨み憎む者が多かった」と説かれています。
また第五章(薬草喩品)には、「一切世間に怨みが多く、信じがたい」と説かれています。
天台大師でさえも、恐らくこの経文を、実際の身をもって読まれることはなかったでしょう。
なぜなら、天台大師の時代には一切世間(世の中のすべての人々)が仏法を信じ受け入れていたからです。
伝教大師もまた、これには及ばなかったといえます。
なぜなら、経文に「仏が滅して後、信じる者は少ない」とあるにもかかわらず、伝教大師の時代には仏教が広まり、人々に受け入れられていたからです。
もし日蓮が日本国に出現しなかったなら、仏が残した金言(真実の言葉)も空しくなり、多宝如来の証明(法華経の真実性を保証する誓い)も無意味なものになってしまったでしょう。
また、十方(東西南北上下とその間)の諸仏が述べられたお言葉も、すべて偽りとなってしまったでしょう。
仏が入滅してから二千二百二十余年――
インド(月氏)、中国(漢土)、日本においても、
「一切世間に怨みが多く、信じがたい」というこの経文を、
実際にその身をもって証明した人は、いませんでした。
日蓮が出現しなかったならば、仏の言葉は、すでに絶えてしまっていたでしょう。
私はこのような身の上ですので、蘇武(そぶ)のように雪を食べて命をつなぎ、
李陵(りりょう)のように蓑(みの)を着てこの世を過ごしてきました。
山や林に身を寄せ、果物などもないときには、空腹のまま二日、三日と過ごすこともありました。
鹿の皮の衣も破れてしまい、裸のまま三か月、四か月と過ごしたこともありました。
そんなみすぼらしい私を、どのようにして哀れに思ってくださったのでしょうか、
まだ一度も直接お目にかかったこともない方が、肌を覆うための衣をお送りくださったこと、言葉では言い表せないほどありがたく、胸がいっぱいです。
この帷(かたびら=単衣の着物)を身にまとい、仏前に詣でて法華経を読誦いたしますと、
法華経の文字は六万九千三百八十四字ありますが、その一字一字が皆、金色の仏でいらっしゃいます。この一枚の衣をもって、六万九千三百八十四体の仏それぞれに、衣を献上することになるのです。
ですから、この衣をご供養くださったおかげで、あなた方ご夫婦お二人には、
それぞれの仏が、「この方は我が施主(せしゅ=檀那)である」とお守りくださるでしょう。
この世では、祈りをかなえ、財宝となり、命の終わりには、月となり、太陽となり、道となり、橋となり、父となり、母となり、あるいは牛や馬となり、輿(こし)や車となり、蓮華となり、山となり、あらゆる姿をもって、お二人を霊山浄土へと導き、迎え入れてくださるでしょう。
建治元年(1275年)乙亥 八月 日蓮(花押)
※このお手紙は、藤四郎殿の奥方と、いつも一緒にご覧になってください。
【感想】
この御書を拝して感じるのは、大聖人ご自身がどれほど極限の中にあっても、与えられた一つ一つの真心を、何倍にも光り輝かせて受け止められていたということです。
私たちの日常でも、誰かに励まされたり、小さな優しさにふれたりするとき、
それを当たり前と思わずに、「これほどありがたいことはない」と心から感謝できる人間でありたいと強く思いました。
また、どんなに微力に思える行動でも、真心を込めて仏道修行につなげていくなら、
それは永遠の功徳となって、必ず自分自身や周りの人を守ってくれる。
そんな確信と勇気をいただきました。
今、私たちの毎日は、忙しさや悩みであふれがちです。
けれども、大きなことを成し遂げるだけが仏道ではありません。
たとえば、誰かを励ます一言。祈りながら贈るささやかなプレゼント。
題目をあげてから始める一日。
そうした小さな積み重ねこそが、未来を大きく変える力を持っているのだと、
この御書は教えてくれます。
どうか、あなたの今の一歩を大切にしてください。
一緒に、命ある限り、喜びをもって信心を貫いていきましょう!