御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

大尼御前御返事 全908頁 新1224頁

大尼という人、信心がふらふらしていたようで、大聖人が佐渡に流されると信心に疑いを持って退転したそうです。が、なんと、大聖人が御赦免を受けて戻って来られると、また、祈らせてもらおうと思って、大聖人に「私にも御本尊をください」と言ってくるような厚かましいおばあちゃんだったみたいです。

反対にお嫁さん(孫の嫁説もある)の新尼のほうは純真に強盛に信心を貫いていたので御本尊を賜わりました。おばあちゃん、ちょっと悔しかったかもしれませんが、大聖人はお手紙で謗法、退転は地獄の業であり、生きていても地獄の苦しみ、死後は必ず堕地獄であるとして、獄卒のことを詳しく書いておられます。「よくよく内をしたためて」と大尼が信仰を本気で信心するのか確かめられたなら、命がけで祈っていってあげようと言われています。後生の成仏のために真剣に信心していくよう結ばれています。厳しくもお心遣いが半端ないと思います。

 

大尼御前御返事

 ごくそつえんま王の長は十丁ばかり・面はすをさし・眼は日月のごとく・歯はまんぐわの子のやうに・くぶしは大石のごとく・大地は舟を海にうかべたるやうに・うごき・声はらいのごとく・はたはたと・なりわたらむにはよも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ、日蓮が弟子にてはをはせず・よくよく内をしたためて・をほせを・かほり候はん、なづきをわりみをせめて・いのりてみ候はん、たださきの・いのりと・をぼしめせ、これより後は・のちの事をよくよく御かため候へ、恐恐。
 九月二十日 日 蓮 在御判
 大尼御前御返事

 

現代文:

獄卒や閻魔王の身の丈は十丁(1090m)ほどで、顔面は朱を注いだように赤く、眼は日月のように(燃えており)、歯は馬鍬の根元のようで、拳は大石のようである。彼らが歩くと大地は船を海に浮かべたように動き、彼らの声は雷のようであり、はたはたと鳴り渡る。彼らに責められたときには、よもや南無妙法蓮華経と仰せになれないだろう。(大尼御前は現在は)日蓮の弟子ではない。(それゆえあなたの心の)内をよくよくしたためて、仰せを承ることとしましょう。(もし本当に法華経を信じられるならば)頭を破り、身を責めて祈ってみよう。(しかし、それは)ただ、これから先の祈りと思いなさい。これより後は後生の事をよくよくかためられることが肝要であろう。恐恐。