今日も早朝4時過ぎから開目抄拝読。どうしたんだ、私。
今日全部拝読したので、明日からよく眠れるかしらん。
明け方が一番集中できるみたい。でも、段々読んだ内容が頭に入ってこなくなった。脳に栄養をあげないとだめだ、と思って6時過ぎにメープルクロワッサンなるものを食し、砂糖の入ったカフェオレを飲みました。悩が復活した感じ。頭に入ってくる。やはり糖分は勉強に必要なアイテムです。
さて、開目抄講義、後半一気に書きますよ。ていうか、大事な話が多過ぎて書ききれないです。
講義の第14回から最後第20回まで、もう私が全部写すわけにはいかないので、皆さん、先生の開目抄講義の本を買って読んでくださいね。素晴らしい内容です。
有名な御文がいくつか出てきますね。
第14回のところでは、「詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん・・・」
深き覚悟がなければ、悪知識の障魔を破ることができない。戦う心こそ、不退の心である。誘惑の甘い言葉も、脅迫の怖い言葉にも屈してはならない。仏法者にとって敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないこと。逃げたら本当の宿命になってしまう。信心で宿命を使命に変えていく。変毒為薬してくのが、この信心の醍醐味。
第16回、「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし・・・・」まことの時に戦う信心こそ「仏界」が輝くことを、断じて忘れてはならない。波一つ立たない小さな池のような平穏を求めるのではなく、怒涛渦巻く大海にあっても崩れることのない幸福境涯を確立するのが、仏法の教えの真髄。無明という闇の生命に仏界の光を差し込ませてあげる戦いが折伏です。皆持ってる仏性なのにあることを知らない、そして出し方も知らない人たち。だから、御本尊を拝ませて仏性を出させてあげるのです。この簡単なようで非常に難しい折伏を、私たちは誓願して信心した。勇気を出して折伏する行為が仏の慈悲そのものです。三徳といえども悪を破折する根本精神が慈悲にあるといわれている。
戦い続ける人は、自分自身の本有の生命は不滅であることを、生命の奥底で既に覚知している。今世で勇気を出して慈悲の闘争をした人は、来世も慈悲の闘争に連なることができることを自得している。
病苦・老苦・死苦をも悠然と乗り越え、次の生もまた、学会の庭に生まれ、広布に生き抜くことを誓願しつつ、我が使命ある生涯を「大いに喜ばしい」と総括できる。その広宣の勇者は、妙法の大生命に基づいて、「法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行く」という三世永遠に自由自在の境地を確立しているのです。
沢山大事な講義がありましtが、一部分だけ抜粋したりまとめたりして書きました。
各自で拝読していただければ、新たな発見、感動があると思います。
私からの開目抄スピンオフはこれで終わります。
読んでくださった方、本当にありがとうございました。