御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

報恩抄 スピンオフ⑤

 慈覚大師(円仁)は承和五年に御入唐。中国で十年間、天台・真言の二宗を習った。法華・大日経の勝劣を習ったところ、法全(はっせん)(略)等八人の真言師には、「法華経大日経は理同事勝」等と言われた。天台宗の志遠(しおん)(略)等に学んだところ、「大日経は方等部に分類される」などと言われた。同じ承和十三年九月十日に御帰朝。

嘉祥元年六月十四日、宣旨下る。法華・大日経等の勝劣は中国では見定めることができなかったためなのか、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、以上十四巻を著した。この疏の心(趣旨)は、大日経金剛頂経蘇悉地経の義と法華経の義は、詰まるところ、理は同一であるが事相の印と真言は、真言の三部経が優れているというものである。これはひとえに善無畏・金剛智・不空のつくった『大日経疏』の趣旨と変わらない。

しかしながら、心になお不審が残っていたのだろうか、また自分の心では納得しても、人の不審を晴らそうと思われたのか、この十四巻の疏(注釈書)を本尊の前に置いて祈請された。

「このように書いてみましたが、仏意計りがたし。大日の三部の方がすぐれているのでしょうか。法華経の三部の方がまさっているのでしょうか」と御祈念したところ、五日目の夜明け前ににわかに夢想あり(夢を見た)。青天に太陽が輝いていた。矢をもってこれを射たところ、矢が飛んで天にのぼり、太陽に命中した。太陽が動転して地に落ちてしまうと思った瞬間に夢からさめた。悦んでいうには、「我に吉夢があった。法華経より真言が勝れていると書いた書は、仏意に叶っていたのだ」と悦んで、天皇にお願いして、宣旨を出していただき日本国に真言を弘通した。しかも宣旨には「ついにわかった。天台の止観と真言の法とは、深い次元で義理が一致している」となっている。祈請した趣旨は、大日経より法華経は劣っているようである、とあったが、宣旨を申し下した時には、「法華経大日経とは同じである」と言っている。(以上14章)


 智証大師(円珍)は我が国では義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子である。顕密の二道は大体この国で学ばれた。天台・真言の二宗の勝劣に不審があって中国へ渡られたのだろうか。仁寿二年(852年)に御入唐。中国では真言宗は法全・元政等に学ばれ、「大体大日経法華経とは理同事勝である」、慈覚の義と同様であった。天台宗は良諝和尚(りょうしょかしょう)に学ばれた。真言・天台の勝劣について「大日経は華厳・法華等には及ばない」というものであった。七年間中国で過ごし、貞観元年五月十七日、御帰朝された。『大日経指帰』には「法華経でも大日経には及ばない。ましてほかの教えはいうまでもない」などとある。この註釈では、「法華経大日経には劣る」と言っている。その一方で、授決集には「真言・禅門は、もし華厳・法華・涅槃等の経と比較すれば、これ人々を究極の真理へと導いていくための教えであり、心理そのものではない」とある。普賢経の記や法華論記には「(法華経大日経は)同じ」とある。

(以上第15章ですが、これより以下のところは略します)

 

〈感想〉

この章にはあまり譬え話がなかったですね。(私的に面白くなかった)

次の章に期待。

ノートにまとめながら読むといいなと思いますね。

慈覚・智証とか次に破折させるのですが、沢山名前が出てくると、どっち側の人やっけ?ってなるので、相関図を自分で作るといいかなと思いました。

この報恩抄がばっちりわかれば、仏教大学でも講義できそうです。(言い過ぎかな)