御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

窪尼御前御返事 新1978頁 全1478頁

〈背景の状況説明〉

このお手紙は、大聖人が弟子や信徒に対し、法華経への信心を深めるよう励ましつつ、当時の政治的・宗教的な背景について憂慮を述べたものです。
「あつわら(熱原)の件」は、大聖人が佐渡流罪に処された経緯や、周囲の陰謀について触れています。河野殿(当時の佐渡の地頭)が、大聖人の流罪を「浅ましいこと」と後悔し、その後大聖人を許したことに感謝しています。

また、大聖人は権力者たちが私利私欲のために法華経を疎かにし、その結果、国家や主君を滅ぼす結果を招くことを嘆いています。「木を食い荒らす虫」や「獅子を食い尽くす虫」は、内部から崩壊を引き起こす存在の比喩です。

手紙の最後では、いかなる状況でも法華経の力を信じて生き抜くことの尊さを強調しています。このような力強い言葉で、窪尼をはじめとする信徒たちを励まそうとしているのです。

 

〈御書現代語訳〉

 窪尼御前御返事       弘安元年 五十七歳御作

粽(ちまき)五つ、笋(たけのこ)十本、千日餅一つをお送りくださいましたね。ありがとうございます。
いつものことではございますが、長雨が降り続き、夏の日も長く、山は深く、道が荒れているために、誰も訪ねてこない中、ほととぎすに乗せて届けられたようなこの一声、本当にありがたく思います。

さて、熱原の件ですが、今度のことをもってお気持ちをお静めください。以前のことは虚偽でした。河野殿は、「他人の言葉を鵜呑みにして、詳しく調べることもなく、この御房(日蓮)を流罪にしたことは浅ましい」と感じられ、その後は許されて、特に咎められることもなくなりました。それなのに、どうして再び害されることがあるでしょうか。

下々の人々は、心の中では法華経を疎ましく思っても、上の人たちに咎められることを恐れて、事実を捻じ曲げて他人を害する行いをしています。その結果、以前の虚偽が次々と明らかになっているのです。このようなことは、嘘や誤魔化しが表面化することだといいます。佐渡国でも三度にわたり、そのような虚偽が作られたことがありました。

これに関連して、私は上の人々や国の行く末を憂慮しております。木の下にいる虫が木を食い荒らして倒し、獅子の中に潜む虫が獅子を食い尽くして滅ぼすように、守護の地位にある人々が守護殿の権威を借りて、他の人々を脅し、苦しめ、悩ませているのです。そして「上からのお達しだ」と言いながら法華経を排斥し、その結果、国を滅ぼし、主君を失い、最終的には自分自身をも滅ぼしてしまうのです。この浅ましさは見るに耐えません。

私は卑しい身分ではありますが、法華経梵天・帝釈・日月天子・四天王・天照大神八幡大菩薩が守護してくださる尊い経典です。法華経を害する人々は、剣を呑み、火を手に握るような大きな罪を犯しているのです。これらのことを思えば、どうかいよいよ法華経への信心を深めてください。その信心こそ尊く、素晴らしいことです。

 五月三日    日蓮 花押
 窪尼御返事