御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

九思(くし)一言事 四条金吾御書 1175頁 57歳御作

崇峻天皇御書の中にも九思一言の話がありましたが、この御書にも出てきます。そのため別名がこの御書は九思一言事と言われます。

いつも思うのは大聖人様の文面、非常に比喩がうまく使われていてわかりやすいし、かつ文学的だということ。

この御消息の冒頭のところにこうあります。通解で書きますと:

鷹取の嶽、身延の嶽、七面の嶽、飯谷(いいだに)といい、木の下、萱(かや)の根、巌(いわ)の上、土の上とどのように尋ねても(海藻・ワカメ)の生えているところはない。海でなければ海藻はなく、山でなければきのこはないのである。同じように法華経でなければ成仏の道はないのである。

(どうですか?こういう例え話を折伏のときにちらっと入れたりすると教養がピカっと光りそうな気がしますが・・・なかなかできないですよね)

四条金吾がやっと主君の出仕の供を毎日するようになって大聖人もお喜びになられているのがわかります。

御書通解:

そのうえ円教房というひとがこちらに来ていたが、彼がいうには「江馬四郎殿の御出仕のお供の侍は24~5人でそのうち主君はさておき、本人の背の高さといい、面魂といい、また、乗った馬や従えている下人までも中務左衛門尉が第一である。ああ、彼こそ男だ、男だと鎌倉の童が辻で言い合っていた」と語っていた。

四条金吾さん、お医者さんで賢くて背も高くて男気があって信頼も厚くてイケメンやったのかな~似顔絵ない?肖像画とか?タイススリップして当時に行けたら写真撮ってくる~)

御書に戻ります。1176頁8行目のところから、通解:

「女性にはどのような罪があったとしても教訓する必要はない。まして争ってはならない。涅槃経には「その罪が極めて重いといっても女人には及ぼさない」と説いている。経文の心は「どのような罪があっても女人の罪をとがめてはならない。これが賢人の行いであり、これが仏弟子である」という文である。

 まさかの時を常に念頭に置き、兄弟に対する思いやり、婦女子に対する心がけを説かれ、家族の団結を促されています。

ほんとに細かいところまで用心して行動するよう教えられています。夜間の外出時のこと、帰宅時の用心の仕方、火事の際の逃げ方、行動の仕方、酒の招待を受けた時の注意など、指導というものは時には現実にどう行動をとるべきかを教えることも大事であるとわかります。この内容のところの御書を下に載せておきます。

御書1175頁10行目、ここに九思一言が出てきます。( )は通解です。

これに・つけてもあまりにあやしく候、(不審に思うのである)孔子は九思一言・周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度はかせ給う、古の賢人なり今の人のかがみなり、されば今度はことに身をつつしませ給うべし、夜はいかなる事ありとも一人そとへ出でさせ給うべからず、たとひ上の御めし有りともまづ下人をごそ(御所)へ・つかわして、なひなひ一定を・ききさだめて・はらまき(鎧・よろい)をきて・はちまきし、先後・左右に人をたてて出仕し御所(主君の館)のかたわらに・心よせの(あなたに心を寄せる人の)・やかたか又我がやかたかに・(鎧を)ぬぎをきて・まいらせ給うべし(参上しなさい)、家へ帰らんには先に人を入れて戸の側、橋の下、厩(馬小屋)の後ろ・高殿(高く作った建物)一切くらきところを・見させてから入るべし(入りなさい)・せうまう(焼亡)には我が家よりも人の家よりもあれ(どこから出火したとしても)・たから(財宝)を・をしみてあわてて火をけすところへ・づつとよるべからず(近づいてはならない)、まして走り出る事なかれ、出仕より主の御ともして御かへり(帰り)の時はみかどより(御門のところで)馬より・をりて、いとまの・さしあうよし(用事がある旨)・ばうくわん(判官)に申して・いそぎかへるべし、上(主君)の仰せなりとも・夜半に入って御ともして御所に・ひさしかるべからず(長くいてはいけない)、かへらむ(帰るとき)には第一・心にふかき・えうじん(用心)あるべし、ここをば・かならず・かたきの・うかがうところなり(狙うからである)。
 人のさけたばん(酒をあげよう)と申すともあやしみて・あるひは言をいだし(言葉を濁し)・あるひは用いることなかれ(はっきり断りなさい)