御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

法華経随自意事 新池殿御消息 1435頁 58歳御作

新池御書について書こうと思ったのですが、御書ではこちらが先にありましたので、この御消息について書こうと思います。

 

静岡県袋井市新池(当時は遠江磐田郡新池)に住む新池左衛門尉が、亡くなった一子の追善供養のために供養したことに対するご返事です。別名は「法華経随自意事」

新池左衛門尉は鎌倉幕府御家人で日興上人によって入信し、妻の新池尼とともに純真な信心を貫いた。

初めに新池殿が身延の大聖人のもとへ米をご供養したのに対して、阿育大王や阿那律の例を引いて法華経供養の功徳を述べられています。次に、インド、中国、日本の三国に仏法が伝来した経過を述べ日本においては一国が謗法となり多くの人が阿弥陀仏を本尊としている現状や、大聖人に対して重ねて大難を加えている事実を述べています。

さらに法華経こそ最も優れた経であり、釈尊こそ衆生にとっては主師親であることを経文を引いて明かし、法華経こそが一切衆生を仏の心に随わせるために説かれた随自意の経であり、信ずる者は仏になれることを示されています。そして、大聖人ほど法華経のために三類の強敵にあだまれたものはいないとして、世間から迫害されている大聖人を信ずるのさえ大変なことであるのに、新池殿が剣難の道を越えて身延の大聖人にもとを訪れたことは宿縁が深いためであるとその志をほめて激励されています。

御書は4頁あります。御書を読んでいただくと大体は意味がわかることができると思います。しっかりわかるには現代語訳(通解)を読むしかないですが、御書は創価ネットからに日蓮大聖人御書全集 全文検索で調べてもらうといいですが、長い通解を入力する時間がないので、申し訳ないですが、割愛いたします。

私的に大事だなと思うところだけ、御書をわかりやすくして書いておきます。

(1436頁12行目~御書)

但し仏法に入つて諍論あり、浄土宗の人人は阿弥陀仏を本尊とし・真言の人人は大日如来を本尊とす・禅宗の人人は経と仏とをば閣いて達磨を本尊とす、余宗の人人は念仏者・真言等に随へられ何れともなけれども[どれがいいということはないけれども]・つよきに随ひ多分に押されて[勢いの強いのに随い、数の多いのに押されて]阿弥陀仏を本尊とせり、現在の主師親たる釈迦仏を閣きて他人たる阿弥陀仏の十万億の他国へにげ行くべきよしを・ねがはせ給い候、阿弥陀仏は親ならず主ならず師ならず、されば一経の内・虚言の四十八願を立て給いたりしを・愚なる人人実と思いて,物狂はしく[気が狂ったように]金・拍子をたたきおどりはねて念仏を申し、親の国をばいとひ出でぬ、来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず・※中有のたびの空に迷いて謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば・獄卒・阿防羅刹悦びをなし・とらへからめてさひなむ事限りなし、これをあらあら経文に任せてかたり申せば・日本国の男女・四十九億九万四千八百二十八人ましますが・某一人を不思議なる者に思いて余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成りて、主師親の釈尊をもちひぬだに不思議なるに、かへりて或はのり或はうち或は処を追ひ或は讒言して流罪し死罪に行はるれば、貧なる者は富めるをへつらひ賤き者は貴きを仰ぎ無勢は多勢にしたがう事なれば、適法華経を信ずる様なる人人も世間をはばかり人を恐れて多分は地獄へ堕つる事不便なり、但し日蓮が愚眼にてや・あるらん又宿習にてや候らん法華経最第一・已今当説難信難解・唯我一人能為救護と説かれて候文如来の金言なり敢て私の言にはあらず、当世の人は人師の言を如来の金言と打ち思ひ・或は法華経に肩を並べて斉しと思ひ・或は勝れたり或は劣るなれども機にかなへりと思へり、しかるに如来の聖教に随他意随自意と申す事あり、譬えば子の心に親の随うをば随他意と申す・親の心に子の随うをば随自意と申す、諸経は随他意なり仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に、法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり、諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず、法華経は仏説なり仏智なり、一字一点も是を深く信ずれば我が身即仏となる、譬えば白紙を墨に染むれば黒くなり黒漆に白き物を入るれば白くなるが如し毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す、然るに今の人人は高きも賤きも現在の父たる釈迦仏をばかろしめて他人の縁なき阿弥陀・大日等を重んじ奉るは是れ不孝の失にあらずや・是れ謗法の人にあらずや、と申せば日本国の人・一同に怨ませ給うなり、其れもことはりなり・まがれる木は素直なる繩をにくみ、偽れる者は正しき政りごとをば心にあはず思うなり。

 

※中有とは死の瞬間から次の誕生を迎えるまでの期間のこと。欲界・色界の有情が誕生してから次の誕生を迎えるまでの過程を生・本・死・中と四つにわけた四有の一つ。

私の独断で大事と思うところを太字にしました。

あと、全部ではないですが、読みやすいように御書の文字を現代の言葉に変えて入力したところもあります。大聖人様ごめんなさい。現代の人たちがわかりやすいように変換したことをお許しくだされ。あと、読みやすいように句読点も勝手に打ちました。現代語訳ではいいのですが、御書をコピペしたときは、そういうこともしないとわかりづらいと思いまして、ご理解のほどよろしくお願いします。

 

 #32巻(日蓮大聖人御書講義)p393~