御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

治病大小権実違目 スピンオフ 講義編

以前書きました「治病大小権実違目」を読み返すと現代語訳にしてなかったので、現代語訳に訳して載せました。長いので数日掛かってしまいましたし、講義は全然読めなかった。それであとで講義を読むと色々わかったので、スピンオフで書くことにしました。

 

実は、身の病と心の病について書かれた御書を探していて、治病大小権実違目と四条金吾に与えられた御書(二病抄)にありました。これら二つは同じ日に書かれているようです。

講義には、6月25日に天台大師講のため、四条金吾が各地の信徒たちから御供養の品々を預かって身延に参詣してきたようです。富木常忍は帷子を御供養し、太田入道の御供養は富木常忍が受け取り、その目録を記して四条金吾に託した。

四条金吾自身も、おそらく鎌倉の後輩の人々の御供養を預かり、その目録を記して持参したのに違いない。そこで、大聖人は先に四条金吾が帰っていったあと、手紙をしたためられて、各地に帰っていく門下のお弟子に託され、四条金吾には二病抄、富木常忍には治病大小権実違目を送られたのであろうと思われます。

 

<講義から大事と思うところを書きます>

身の病は四大不順によって起きる病気であり、一方、心の病は三毒等の煩悩が引き起こす病気である。身の病は医学によって治せるが、心の病は仏法でなければ治しえないものである。さらに心の病にも、浅深、軽重があることを五重相対の規範から論じられている。まず、内外相対の立場からは、六道の凡夫が外道の範疇で起こす心の病は、小乗教によって治すことができる。しかし、小乗の者が、自教に執着して大乗に背いたり、肩を並べようとすることによって起こった病は、小乗教で治そうとしても、逆に悪化してしまう。これは大乗教で治すことが可能である。大小相対の立場である。権実相対では、権大乗の者が法華経と等しいとか、法華経に勝るなどと主張し、その邪見を国主が用いたりすると、社会に病気が蔓延する。これらの病気は権大乗で治そうとしても逆に悪化する。法華経によって治す以外ないのであるが、たとえ法華経によったとしても、法華経こそ最第一の正法であることを知らない権大乗の者が行った場合は、全く効果はない。ここで「心の病」と言われているのは、生命の濁りそのものであるとともに、この生命の濁りが原因となって生じている身の病をも指しておられる。心の病が因となっている身の病は、単に身体の治療だけでは治らないからである。その心の病にも重々に浅深勝劣があるゆえに、その病の質、程度に応じて適切な治療をすることが肝要となる。

身の病について、

仏法では人間の身体は四大つまり地水火風によって構成されるとしており、四大が質、量ともに調和している時は健康であるが、そのバランスが崩れた時に病気になると考える。四大の不順をもたらす誘因としては、気候の変化、食物の過不足、生活の乱れ、種々の微生物等が挙げられる。四大のうち一つが不調であれば百一の病を生じ、四大が不順であれば四百四病になる。地大整わず、増大しすぎると「挙身沈重」となる。全身が太って沈重になる。水大の増加は「挙身膖腫」となり、顔や手足に浮腫ができる。火大の熱性が異常に高まると「挙身蒸熱」になり、発熱や下痢を引き起こす。風大の行動性の異常な増加は、スムーズな気の動きをなくし、疼痛や震えを起こす。「挙身掘強」して、「百節苦痛」の症状があらわれる。これらは東洋医学の根本思想となったもので、東洋の医師は、患者にあらわれた四大の病相を詳しく観察し、そこから治療の方針を立てる。

次に心の病について、

大智度論巻五十九には「貪・瞋・癡・等分にして、淫欲の病に二万一千を分ち、瞋恚の病に二万一千を分ち、愚癡の病に二万一千を分ち、等分の病に二万一千を分かつなり」と記されている。心病とは三毒を基本にして起きる病である。貪欲の病、瞋恚の病、愚癡の病、等分の病がある。等分とは三毒が等分にかかわって起きる病を指している。とりあえず、今日はここまでです。(以下省略します)

 

 

二病抄 中務左衛門尉殿御返事 1178頁 57歳御作 - 御書大好き!!