南条時光に与えられた御消息。塩一駄(一駄は馬一頭に負わせる荷物の量)とはじかみ(生姜)を送ってもらったことに対するお礼のお手紙です。短いので全文写します:
塩一駄はじかみ送り給び候。
金多くして日本国の沙のごとくならば誰か・たからとして・はこのそこにおさむべき、餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば誰か米の恩を・おもくせん。
今年は正月より日日に雨ふり・ことに七月より大雨ひまなし、このところは山中なる上・南は波木井河・北は早河・東は富士河・西は深山なれば長雨・大雨・時時日日につづく間・山さけて谷をうづみ・石ながれて道をふせぐ・河たけくして船わたらず、富人なくして五穀ともし・商人なくして人あつまる事なし、七月なんどは・しほ一升を・ぜに百・しほ五合を麦一斗にかへ候しが・今はぜんたい・しほなし、何を以てか・かうべき、みそも・たえぬ、小児のちをしのぶがごとし。
かかるところに・このしほを一駄給びて候御志・大地よりもあつく虚空よりもひろし、予が言は力及ぶべからずただ法華経と釈迦仏とに・ゆづりまいらせ候、事多しと申せども紙上には・つくしがたし、恐恐謹言。
弘安元年九月十九日 日 蓮 花押
上野殿御返事
身延は春以来の長雨で交通も途絶えがちで、20倍ほどの高値になっていた塩が今はどこにもなくなってしまい、何とも交換することもできず、困っておられたことがわかります。赤ん坊が乳を欲しがるような状態だと言われています。そういうところに馬一頭が運ぶくらいの沢山の塩を送られて、あなた(南条時光)の志は大地よりも厚く、大空よりも広く、とても我が言葉では言い表すことができない。ただ法華経と釈迦仏のお褒めにお譲りするだけである。申し上げたいことは多くあるが、手紙では尽くしがたい。と結ばれています。短い御返事ですが、大聖人の生活状況と時光への感謝の思いが伝わってきます。
今年は線状降水帯のせいで熊本はじめ日本の各地で豪雨や長雨が降り、川が氾濫したり、山崩れを起こしたりして大変でしたが、この御書を読むと、当時も長雨で川が氾濫したり山が崩れたりして、大聖人のおられるところが孤立していたのではないかと思われます。そんな大変な山の中、塩と生姜を届けてくれたのですから、感謝感謝であったと推しはかられます。