今回はめっちゃかっこいい御書を紹介します。大聖人が40歳のときに書かれたお手紙。若いからかな~切れがいいっていうか、すごいんです。
後半のところ、如渡得船までの譬えがすごい。大聖人様がいらっしゃったら、親指立てて「かっこいい~~!」「ナイス~!」って言いそうです。船にかかわる物での譬えなので、四郎殿が船にかかわる武士であったかもしれないという伝承も残っているとか。単に船が好きな人であったかも?と思ったり、いや、そんなことより大聖人様が完璧な譬え方をされていることに驚きです。感動です。
ところで、椎地四郎さん宛ての御書はこれしか現存しておらず、詳しい人物像もわかってはいないようです。もっとあったかもしれませんね。紛失したのかな。
本人やほかの人への御書から、四条金吾や富木常忍と親交があったと思われます。
本人も信心強盛なお方であったと思いますねぇ。大聖人が亡くなられたときは、御葬列の後方で、大聖人の腹巻(胴を守る甲冑の一種)を奉持して参列していたそうです。
それでは、お手紙の本文を現代の日本語で書き直してみます。
椎地四郎殿
先日お話しされた内容について、例の人に尋ねてみましたところ、あなたのおっしゃったとおりで、少しも違いはありませんでした。このことからも、ますます励んで法華経の功徳を得てください。師曠(しこう)が耳、離婁(りろう)が眼のように、聞く力や見る力を高めていかれるとよいでしょう。
末法の時代には、必ず法華経を行ずる者が現れます。しかし、その道には必ず大きな困難が訪れるものです。そのときには、信仰心を一層強くし、むしろその困難を喜びと感じてください。火に薪をくべれば、火はさらに勢いを増します。同様に、大海に多くの川が流れ込んでも、大海がその水を拒むことはありません。法華経の行者もまた、大きな困難が押し寄せても、それを拒まず受け入れます。川の水が大海に流れ込まなければ、大海は存在し得ないのと同じように、大きな困難がなければ、法華経の行者とはいえません。
天台大師は「多くの川が大海に入り、薪(たきぎ)が火を燃え立たせる」と述べています。このように、法華経の教えをたった一言でも誰かに伝えることは、過去世からの深い縁によるものと考えてください。経典には、「正しい教えを聞かない人は救いがたい」と説かれています。この「正しい教え」とは法華経を指し、この経典を聞かない人は救うのが難しいという意味です。
また、法師品には「善男子や善女人、僧侶や在家、尼や女性であっても、法華経の教えをたった一句でも他人に伝える者は、如来の使いである」と説かれています。あなたは在家の善男子に該当するでしょう。この経典をたった一文でも心に染め、他人に伝える者は、生死の大海を渡るための船を得ることができるのです。
妙楽大師は「たった一句でも心に染み渡れば、皆が彼岸に到達する助けとなる。それを思い、実践することは永遠に船として役立つ」と述べています。生死の大海を渡るには、妙法蓮華経という船以外にはあり得ません。
抑(そもそも)、法華経における「渡りに船を得たるが如し」とあるこの「船」とは、教主である大覚世尊(釈迦如来)が、無限の智慧を持つ名匠として、四味(法華経以前の四教)八教(化法の四教と化儀の四教)の材木を集め、それを「正直捨権(正直に方便を捨て)」の刃で削り整えて(法華経という無上の法門を説き)、「邪正一如(邪と正を一つに統合する)」の技で、性悪・性善を兼ね備えた衆生の生命も、善悪一如ですべて救えるようにし、さらに、「醍醐一実(最上の真理)つまり南無妙法蓮華経」の釘を打ち込んで、生死の大海に浮かべました。
この船には、「中道一実(中道にして唯一の真理)」を帆柱として立て、三千界(一念三千)を表す帆を掲げ、「諸法実相」を舵として進んでいます。そして、「以心得入(信じることで入ることができる)」という教えに基づき、妙法を信じるあらゆる衆生を、この船に乗せて救います。船の舵は釈迦如来が取り、多宝如来が彼岸の仏界から綱で引っ張って助けています。そして、上行菩薩をはじめとする四菩薩が息を合わせて船を漕ぎ進めています。このような船こそ、「如渡得船(渡りに船を得たるが如し=渡るときに船を得たようなもの)」という船なのです。
この船に乗るべき者とは、日蓮の弟子であり、檀那(信徒)の皆さんです。しっかりと信じてください。
四条金吾殿にお目にかかることがあれば、この話をよくよく伝えてください。詳細についてはまた改めてお伝えします。
恐れ多くも、ここに記します。
弘長元年四月二十八日
日蓮(花押)
椎地四郎殿へ
〈感想〉
御書にある大聖人の言葉は昔の言葉だけど、簡潔でリズムがあって、とても読みやすいし覚えやすいんだと思いますね。音楽みたいに覚えられる。なので、覚えやすい方も載せておきますね。声に出して読まれることをお勧めします。
新版御書の本文です。私が思う、かっこいいところだけ書きます。
そもそも、法華経の「如渡得船」の船と申すことは、教主・大覚世尊、巧智無辺の番匠として、四味八教の材木を取り集め、正直捨権とけずりなして、邪正一如ときり合わせ、醍醐一実のくぎを丁とうって、生死の大海へおしうかべ、中道一実のほばしらに、界如三千の帆をあげて、諸法実相のおいてをえて、以信得入の一切衆生を取りのせて、釈迦如来はかじを取り、多宝如来はつなでを取り給えば、上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給うところの船を、「如渡得船」の船とは申すなり。
これにのるべき者は、日蓮が弟子檀那等なり。能く能く信じさせ給え。