御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

佐前佐後抄 三沢抄 1487頁 57歳御作

これも三沢小次郎に与えられた御書。三沢抄、別名、佐前佐後抄として有名な御書です。

というのは1489頁7行目から「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」とあるように佐渡に流される前の法門は釈迦の爾前経と思え、と言われるように、発迹顕本された御本仏としての大事な法門が佐後には書かれているということです。たとえば立正安国論には安国のためには邪法を捨てて「正法」を立てるべきだといいながら、正法の内容には触れられていない。人本尊開顕の書である開目抄と法本尊開顕の書である観心本尊抄佐渡で著わされたことでもわかるように、御本仏の立場で法門を説かれたのは佐渡以後なのである。とりわけ開目抄は佐渡に渡られていつ命を奪われるかもしれないという厳しい状況の中で、門下への遺言のようなお気持ちで書かれたと思われる。観心本尊抄はやや状況はよくなっているものの、それでも命の危険は相変わらずあったので、内証の法門であるから口外してはならないと厳重にことわられている。発迹顕本された直後の佐渡期は大聖人御一代の化導にあっていまだ正宗分の初めに過ぎず、その極まるところは身延入山後からである。とりわけ弘安2年(1279年)10月12日に御図顕の本門戒壇の大御本尊をもって化導の究極と拝さなければならない。(詳しくは講義を読んでいただきたいと思います。)

 

 本文、コピーして、分かりにくそうなところは(通解)を補足して書いたり、通解だけ書きます。
 三沢抄 

かへすがへす・するがの人人みな同じ御心と申させ給い候へ。(くれぐれも駿河の人々は皆同じ御心でいるようにと伝えなさい。)


柑子(こうじ)(みかん)一百・こふ(昆布)のり・をご(於胡海苔)等の生の物はるばると・わざわざ山中へをくり給いて候、ならびに・うつぶさの尼ごぜんの(小袖一つをいただいた。)
 さては・かたがたのをほせくはしくみほどき候。(ところで様々おっしゃっていることについては詳しく見てよくわかった。
 抑(そもそも)仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれども・まことに仏になる人は爪の上の土よりも・すくなしと・大覚世尊・涅槃経にたしかに・とかせ給いて候いしを、日蓮みまいらせ候て・(どうしてそんなに難しいのであろうかと考えたときに、なるほどそうであろうと思うことがある。)仏法を学んでも或は我が心の愚かなるにより或はたとえ智慧は賢いようであっても、師匠によりて我が心の曲がっているの知らずにいるため、仏教を正しく修学し会得することは難しい。たとえ明師(正師)並に実経に遇えて正法を得た人であっても生死を出離して仏にならむとする時には・かならず影の身にそうがごとく・雨の時にに雲のあるがごとく・三障四魔と申して七の大きな障魔が出現する、たとえ・辛うじて六つは・やりすごしたとしても第七の魔に破られたならば仏になる事は難しい。

その六つはしばらくおくとして、第七番目の大難は天子魔と申す物なり、設(たと)い末代の凡夫・一代聖教の御心をさとり・摩訶止観と申す大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候いぬれば・第六天の魔王・此の事を見て驚きて云く、ああ、とんでもないことだ。此の者が此の国にいるならば、かれが我が身の生死を出離するかは・さておいて、又人を導くであろう。又此の国土を奪い取って我が領土を浄土としてしまう。どうしたらよいであろう」と言って欲・色・無色の三界の一切の眷属を招集し仰せ下して云く(命令して)、各各の能力に随つて・かの行者を悩ましてみよ。それでだめだったならば、彼の弟子だんな並に国土の人の心の内に入りかわりて・あるひはいさめ或は脅してみよ。それでもだめだったならば、我自ら降りて行って、国主の身心に入りかわりて脅してみれば、どうして止められないことがあろうか。」と評議するのである。
日蓮は以前からそうであろうと見て取って、末代の凡夫が今生に仏になる事は大変なことであり、釈迦仏が仏になられたことは経々に多く説かれているけれども、第六天の魔王がその際になした大難はどのようにしても忍ぶことができるとは思えないでいたのである。

提婆達多・阿闍世王の悪事は・ひとへに第六天の魔王の謀(はかりごと)と思われる。まして「如来の現在よりもなお怨嫉多し。況んや滅度の後おや」と言われて、大覚世尊の御在世当時の難でさえも凡夫の身である日蓮には、そのような者は片時一日も忍びがたいであろう。まして五十余年が間の種種の大難をおいてはなおさらである。まして末代にはこれらに百千万億倍こえるであろう大難をどうして忍ぶことが出来よう、と心に思っていた。

聖人は未萠を知ると申して三世の中に未来の事を知るのを・まことの聖人とは申すなり、而るに日蓮は聖人にあらざれども日本国の今の代にあたりて・此の国が滅亡しようとしていることを以前から知っていたが、これこそ仏の説かれた・況滅度後の経文にあたっている。これを言いだすならば仏の定められた未来の法華経の行者である。知りてしかも言わないのは世に生まれてくるたびに・唖(おし)と吃(どもり)に生まれるうえ、教主釈尊の大怨敵、その国の国主の大仇敵の人となってしまう。後生は又無間大城(地獄)の人となることを考えて、「あるいは衣食に窮乏し、或は父母・兄弟・師匠・同行(修行仲間)にも諫められ、或は国主万民にも脅されたときに、少しもひるむ心あるならば一度に言い出すまい」と、年頃日頃から心を戒めてきたが、「過去遠遠劫の昔から定めて法華経にあって、菩提心も起こしたであろう。ところがたとえ一難二難は忍んだけれども、大難が次第に続いて起こってきたときには退転したであろう。今度いかなる大難にも退転しない決心ならば言い出そう」と思って言い出したところ、経文にたがわずこの度々の大難にはあったのである。(1488頁18行目まで)

今は偏に思い定まっている。どんな大難にも耐えよう、と我が身に当てて試みたときに、すべて疑問は解消したので、こ身延の山林には住んでいるのである。あなた方は又たとえ法華経を捨てられたとしても一日片時であっても我の命を助けてくれた人々であるから、どうして他人のように思えようか。もとより私一人はどうなってもよい。私がどうなったとしても心に退転なくして仏になるならば・あなた方をお導きしようと約束申しあげた。あなた方は日蓮ほども仏法をご存じないうえ、在家の身であり、所領があり、妻子があり、所従があり、どうみても貫き通しがたいことであろう。ただ、愚かなふりをしていなさい、と申し上げた通りにしていきなさい。なに事につけてかすてまいらせ候べき・(どうして見捨てるようなことがあろう)。ゆめゆめをろか(疎か)のぎ(儀)候べからず。(決して決して疎かにすることはない。)


 又法門の事はさどの国へ流される以前の法門は・ただ仏の爾前経と思いなさい、此の国の国主が我が代を保とうと思うならば、真言師等にも召し合せられることであろう。その時まことの大事をば言おう。弟子たちにも内々であっても言うならば、披露して彼らの知るところとなってしまう。そうなってしまえば、決して会おうとしないであろう、と思って言わなかったのである。 しかしながら、去る文永八年九月十二日の夜、竜の口において頸(くび)をはねられようとした時から後は、我についてきた人たちにまことの事を言わないでいたのではかわいそうであると思って。佐渡の国より弟子たちに内々申しあげた法門がある。これは仏以後迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知って、しかも心の中に秘され、口より外には出されなかったのである。その理由は仏が制して「我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず」と言われていたからである。日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・思いがけず此の法門をさとりぬれば・聖人の出でさせ給うまで、まず序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現するならば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日が出た後の星の光のようであり、巧匠の後に拙(つたなさ)を知るであろう。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ全世界に流布するであろうと説かれている。あなた方はこのような法門に宿縁有る人なのだから頼もしく思われるがよい。 また、内房の尼御前のことはお年をめされてお越しになり、いたわしくをもひまいらせ候いしかども(気の毒に思われたけれども)氏神へ参詣するつもりでということであったので、お目にかかるならば必ず罪業が深くなるであろう、その故は神は所従なり法華経は主君なり・所従のついでに主君を訪ねるというのは世間にも恐れ多いことである。その上尼の身になったからには、まづ仏を先とすべきである。あれこれの過ちがあったので、対面しなかったのである。この尼御前一人には限ったことではない、その外の人々も・下部の湯のついでという者を数多く追い返している。尼ごぜんは・親のような年齢であり、お嘆きのことについては心が痛んだけれどもこの法義をお知らせしたいためだったのである。

 又殿は・一昨年であったか対面の後、根拠のないうわさであろうか、御病気と言っていたので、「人を遣わして聞いてみよう」言ったところ、この御房たちの言うには「世間の道理はそうであろう。現に御志は実直であるうえ、御病気ならばすぐお使いを寄こされるであろう、」と思っていたが、お使いもなかったので、疎遠なふりをしながらも心配していたのである。その上無常は世の常であるけれども・去年や今年は世のなかが特にひどく、お目にかかるとも思っていなかった。恋しく思っていたところにお便りがあり、嬉しさは申し上げようがないほどである。尼ごぜんにも・このことを詳しく話してあげてください。法門の事こまごまと・書いてお伝え申し上げようと思ったけれども、長くなるので止めておく。


 ただし禅宗念仏宗律宗等の事は少少前にも申しあげてあるが、真言宗がことに此の国と中国とを滅ぼしているのである。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・弘法大師・慈覚大師・智証大師・此の六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷っただけでなく、三人の三蔵がインドから伝持したとして、金剛界胎蔵界の両界の設をつくりいだし狂惑しけるを・三大師騙されて日本へ習い渡し国主並に万民に伝えたのである。漢土(中国)の玄宗皇帝も代をほろぼし・日本国も次第に衰えて八幡大菩薩の百代の王のち誓いも破れて・八十二代隠岐の法王・代を鎌倉幕府にとられたのは・ひとへに三大師の流れをくむ大僧等が祈ったがゆえに還著於本人となったのである。関東(鎌倉幕府)は此の悪法と悪人を対治したがゆえに十八代にわたって百代の王まで護られるはずであったのを、又かの悪法の者たちに帰依したがゆえに、国には主がいなくなったので梵釈・日月・四天の御計いとして他国に仰せつけて・脅しておられるのである。、又法華経の行者をつかわして諫めたのに・諫め通りに対治せずして・彼の法師等に心をあわせて世間の政道と出世間の政道をやぶり、ひどく法華経の敵になられている。すでに時が経ったので此の国は滅びようとしている。
 疫病はまさに戦に先駆けて起こっている兆しである、あさまし・あさまし(嘆かわしいことである)。
 二月二十三日 日 蓮 花押
 みさわどの