御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

四信五品抄 338頁(新版御書264頁) 

あまり有名ではないかもしれないですが、十大部御書の一つになっています。

別名「末代法華行者位並用心事」といいますが、これは中山にあるご真筆に富木常忍が書き込んだものらしいです。

建治三年三月に富木常忍法華経の修行について、日昭を通して大聖人に質問し、その答えとして書かれたのが本抄です。

 

要約:戒定慧の三学の一つが欠けても法華経の修行はなりたたない。法華経の流通分は末法の明鏡となる。流通分は迹門と本門それぞれにある。迹門では法師品から五品と、本門では分別功徳品の後半の半品以下十一品で、計十六品半である。さらに結経の普賢経と最後の涅槃経も流通分に含める。特にこの中で分別功徳品の現在の四信と滅後の五品は法華経修行の要であり、釈尊在世や滅後の人々の鏡となる。その中でも四信の初めの一念信解と滅後の五品の第一初随喜は一念三千の入った宝の箱であり、三世諸仏の成仏への初めの門なのである。

この修行の位については、天台・妙楽に三つの解釈があるが、日蓮法華経の名だけ聞いて信を起こす名字即の位と考える。それは、法華経の本門こそ最も優れた教えであり、教がいよいよ真実であるなら、それを修行する位はいよいよ低いものでも実践できるからである。       (「日蓮大聖人の御書をよむ」から抜粋)

 

(012)

四信五品抄

 建治3年(ʼ77)4月10日 56歳 富木常忍

 青鳧一結、送り給び候い了わんぬ。
 今来の学者一同の御存知に云わく「在世・滅後異なりといえども、法華を修行するには必ず三学を具す。一つを欠いても成ぜず」云々。
 余また年来この義を存するところ、一代聖教はしばらくこれを置く、法華経に入ってこの義を見聞するに、序・正の二段はしばらくこれを置く、流通の一段は末法の明鏡なり、もっとも依用となすべし。しかして、流通において二つ有り。一には、いわゆる迹門の中の法師等の五品なり。二には、いわゆる本門の中の分別功徳の半品より経を終わるまで十一品半なり。この十一品半と五品と合わせて十六品半、この中に末法に入って法華を修行する相貌分明なり。これになお事行かずんば、普賢経・涅槃経等を引き来ってこれを糾明せんに、その隠れなきか。
 その中に、分別功徳品の四信と五品とは、法華を修行するの大要、在世・滅後の亀鏡なり。荊渓云わく「一念信解とは、即ちこれ本門立行の首なり」云々。その中に現在の四信の初めの一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と、この二処は一同に百界千如・一念三千の宝篋、十方三世の諸仏の出ずる門なり。
 天台・妙楽の二りの聖賢、この二処の位を定むるに、三つの釈有り。いわゆる、あるいは相似・十信・鉄輪の位、あるいは観行五品の初品の位にして未断見思、あるいは名字即の位なり。止観にその不定を会して云わく「仏意知り難し。機に赴いて異説す。これを借りて開解せば、何ぞ労わしく苦ろに諍わん」云々等。
 予が意に云わく、三つの釈の中、名字即は経文に叶うか。滅後の五品の初めの一品を説いて云わく「しかも毀呰せずして、随喜の心を起こす」。もしこの文、相似・五品に渡らば、「しかも毀呰せずして」の言は便ならざるか。なかんずく寿量品の「失心、不失心」等は、皆、名字即なり。涅槃経に「もしは信ずるも、もしは信ぜざるも乃至熙連」とあり。これを勘えよ。また「一念信解」の四字の中の「信」の一字は四信の初めに居し、「解」の一字は後に奪わるるが故なり。もししからば、無解有信は四信の初位に当たる。経に第二信を説いて云わく「略解言趣」云々。記の九に云わく「ただ初信のみを除く。初めは解無きが故に」。したがって、次下の随喜品に至って、上の初随喜を重ねてこれを分明にす。五十人これ皆展転して劣るなり。第五十人に至って二つの釈有り。一には、謂わく「第五十人は初随喜の内なり」。二には、謂わく「第五十人は初随喜の外なり」というは名字即なり。「教いよいよ実なれば位いよいよ下し」という釈は、この意なり。四味三教よりも円教は機を摂め、爾前の円教よりも法華経は機を摂め、迹門よりも本門は機を尽くすなり。「教弥実位弥下(教いよいよ実なれば位いよいよ下し)」の六字、心を留めて案ずべし。問う。末法に入って初心の行者、必ず円の三学を具するや不や。
 答えて曰わく、この義大事たるが故に、経文を勘え出だして貴辺に送付す。いわゆる五品の初・二・三品には、仏正しく戒・定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧また堪えざれば、信をもって慧に代え、信の一字を詮となす。不信は一闡提・謗法の因、信は慧の因、名字即の位なり。天台云わく「もし相似の益ならば、生を隔つるも忘れず。名字・観行の益ならば、生を隔つれば即ち忘れ、あるいは忘れざるも有り。忘るる者も、もし知識に値わば宿善還って生ず、もし悪友に値わば則ち本心を失う」云々。恐らくは、中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も、天台・伝教の善知識に違背して、心は無畏・不空等の悪友に遷れり。末代の学者、恵心の往生要集の序に狂惑せられて、法華の本心を失い、弥陀の権門に入る。退大取小の者なり。過去をもってこれを惟うに、未来無数劫を経るも、三悪道に処せん。「もし悪友に値わば則ち本心を失う」とは、これなり。
 問うて曰わく、その証いかん。
 答えて曰わく、止観の第六に云わく「前教にその位を高くする所以は、方便の説なればなり。円教の位下きは、真実の説なればなり」。弘決に云わく「『前教』より下は、正しく権実を判ず。教いよいよ実なれば位いよいよ下く、教いよいよ権なれば位いよいよ高きが故に」。また記の九に云わく「位を判ずとは、観境いよいよ深く実位いよいよ下きを顕す」云々。他宗はしばらくこれを置く、天台一門の学者等、何ぞ「実位いよいよ下し」の釈を閣いて恵心僧都の筆を用いるや。畏・智・空と覚・証とのことは、追ってこれを習え。大事なり、大事なり、一閻浮提第一の大事なり。心有らん人は聞いて後に我を外め。
 問うて云わく、末代初心の行者に、何物をか制止するや。
 答えて曰わく、檀・戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称えしむるを、一念信解・初随喜の気分となすなり。これ則ちこの経の本意なり。
 疑って云わく、この義いまだ見聞せず。心を驚かし、耳を迷わす。明らかに証文を引いて、請う、苦ろにこれを示せ。
 答えて曰わく、経に云わく「我がためにまた塔寺を起て、および僧坊を作り、四事をもって衆僧を供養することを須いず」。この経文、明らかに初心の行者に檀・戒等の五度を制止する文なり。
 疑って云わく、汝が引くところの経文は、ただ寺塔と衆僧とばかりを制止して、いまだ諸の戒等に及ばざるか。
 答えて曰わく、初めを挙げて後を略す。
 問うて曰わく、何をもってこれを知らん。
 答えて曰わく、次下の第四品の経文に云わく「いわんや、また人有って、能くこの経を持ち、兼ねて布施・持戒等を行ぜんをや」云々。経文分明に初・二・三品の人には檀・戒等の五度を制止し、第四品に至って始めてこれを許す。後に許すをもって知んぬ、初めは制することを。
 問うて曰わく、経文、一往、相似たり。はたまた疏釈有りや。
 答えて曰わく、汝が尋ぬるところの釈とは、月氏の四依の論か、はたまた漢土・日本の人師の書か。本を捨てて末を尋ね、体を離れて影を求め、源を忘れて流れを貴ぶ。分明なる経文を閣いて、論釈を請い尋ぬ。本経に相違する末釈有らば、本経を捨てて末釈に付くべきか。
 しかりといえども、好みに随ってこれを示さん。文句の九に云わく「初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る。直ちに専らこの経を持つは、即ち上供養なり。事を廃して理を存するは、益するところ弘多なり」。この釈に「縁」と云うは、五度なり。初心の者兼ねて五度を行ずれば、正業の信を妨ぐるなり。譬えば、小船に財を積んで海を渡るに、財とともに没するがごとし。「直ちに専らこの経を持つ」と云うは、一経に亘るにあらず。専ら題目を持って余文を雑えず。なお一経の読誦をも許さず。いかにいわんや五度をや。「事を廃して理を存す」と云うは、戒等の事を捨てて、題目の理を専らにす云々。「益するところ弘多なり」とは、初心の者、諸行と題目とを並び行ずれば、益するところ全く失う云々。
 文句に云わく「問う。もししからば、経を持つは即ちこれ第一義戒なり。何が故ぞまた能く戒を持つ者と言うや。答う。これは初品を明かす。応に後をもって難を作すべからず」等云々。当世の学者、この釈を見ずして、末代の愚人をもって南岳・天台の二聖に同ず。誤りの中の誤りなり。
 妙楽重ねてこれを明かして云わく「『問う。もししからば』とは、もし事の塔および色身の骨を須いずんば、また応に事の戒を持つことを須いず、乃至事の僧を供養することを須いざるべしやとなり」等云々。伝教大師云わく「二百五十戒たちまちに捨て畢わんぬ」。ただ教大師一人のみに限るにあらず、鑑真の弟子の如宝・道忠ならびに七大寺等一同に捨て了わんぬ。また、教大師、未来を誡めて云わく「末法の中に持戒の者有らば、これ怪異なり。市に虎有るがごとし。これ誰か信ずべき」云々。
 問う。汝、何ぞ、一念三千の観門を勧進せず、ただ題目ばかりを唱えしむるや。
 答えて曰わく、日本の二字に六十六国を摂め尽くして、人・畜・財一つも残らず。月氏の両字にあに七十箇国無からんや。妙楽云わく「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」。また云わく「略して界・如を挙ぐるに、つぶさに三千を摂む」。文殊師利菩薩・阿難尊者、三会八年の間の仏語、これを挙げて妙法蓮華経と題し、次下に領解して云わく「かくのごときを我聞きき」云々。
 問う。その義を知らざる人、ただ南無妙法蓮華経とのみ唱うるに、義を解する功徳を具うや不や。
 答う。小児、乳を含むに、その味を知らざれども自然に身を益す。耆婆が妙薬、誰か弁えてこれを服せん。水心無けれども火を消す。火物を焼くに、あに覚り有らんや。竜樹・天台皆この意なり。重ねて示すべし。
 問う。何が故ぞ題目に万法を含むや。
 答う。章安云わく「けだし、序王とは経の玄意を叙ぶ。経の玄意は文の心を述ぶ。文の心は迹本に過ぎたるはなし」。妙楽云わく「法華の文の心を出だして諸教の所以を弁ず」云々。濁水心無けれども、月を得て自ずから清めり。草木雨を得るに、あに覚り有って花かんや。妙法蓮華経の五字は、経文にあらず、その義にあらず、ただ一部の意なるのみ。初心の行者、その心を知らざれども、しかもこれを行ずるに、自然に意に当たるなり。問う。汝が弟子、一分の解無くして、ただ一口南無妙法蓮華経と称うるものは、その位いかん。
 答う。この人は、ただ四味三教の極位ならびに爾前の円人に超過するのみにあらず、はたまた真言等の諸宗の元祖、畏・儼・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍なり。
 請う、国中の諸人、我が末弟等を軽んずることなかれ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩なり。あに熙連一恒の者にあらずや。退いて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して五十の功徳を備うべし。天子の襁褓に纏われ、大竜の始めて生ずるがごとし。蔑如することなかれ、蔑如することなかれ。
 妙楽云わく「もし悩乱する者は頭七分に破れ、供養することあらん者は福十号に過ぐ」。優陀延王は賓豆盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失し、相州は日蓮流罪して百日の内に兵乱に遇えり。経に云わく「もしまたこの経典を受持せん者を見て、その過悪を出ださば、もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ、この人は現世に白癩の病を得ん乃至諸の悪重病あるべし」。また云わく「当に世々に眼無かるべし」等云々。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ。国中の疫病は「頭七分に破る」なり。罰をもって徳を惟うに、我が門人等は「福十号に過ぐ」疑いなきものなり。
 夫れ、人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りしより以来、桓武の御宇に至るまで、二十代二百余年の間、六宗有りといえども、仏法いまだ定まらず。ここに、延暦年中に一りの聖人有って、この国に出現せり。いわゆる伝教大師これなり。この人、先より弘通せる六宗を糾明して七寺を弟子となし、ついに叡山を建てて本寺となし、諸寺を取って末寺となす。日本の仏法ただ一門のみなり。王法も二
つにあらず。法定まり国清めり。その功を論ぜば、源、「已今当」の文より出でたり。
 その後、弘法・慈覚・智証の三大師、事を漢土に寄せて「大日の三部は法華経に勝る」と謂い、あまつさえ教大師の削るところの真言宗の宗の一字、これを副えて八宗と云々。三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し、寺ごとに法華経の義を破る。これひとえに、「已今当」の文を破らんとして、釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵と成りぬ。しかる後、仏法漸く廃れ、王法次第に衰え、天照太神・正八幡等の久住の守護神は力を失い、梵帝・四天は国を去って、すでに亡国と成らんとす。情有らん人、誰か傷み嗟かざらんや。詮ずるところ、三大師の邪法の興る所は、いわゆる東寺と叡山の総持院と園城寺との三所なり。禁止せずんば、国土の滅亡と衆生の悪道と疑いなきものか。予ほぼこの旨を勘え国主に示すといえども、あえて叙用無し。悲しむべし、悲しむべし。

  •  
  •