御書大好き!!

沢山の人が御書に親しめるように、現代語訳や講義、感想など書きます。

三三蔵祈雨事  新1940頁 全1468頁 

 建治元年(ʼ75)6月22日 大聖人が54歳のとき、西山殿に与えられたお手紙です。信心していく上で、善知識が何より大事であるという御書です。同志を大事にして、お互いに支えあって励ましあっていかないといけませんね。

 

〈現代語訳〉

木を植えるとき、大風が吹いても、しっかりと支柱を立てていれば倒れることはありません。もともと生えている木であっても、根が弱ければ倒れてしまいます。一見すると頼りない者でも、助ける者が強ければ倒れることはありません。反対に、少しは健康そうな者でも、独りでは悪い道に迷い込んでしまうものです。

また、この三千大千世界の中で、舎利弗(しゃりほつ)や迦葉尊者(かしょうそんじゃ)を除いては、仏が世に現れなければ、誰一人として三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちることを免れる者はいなかったでしょう。しかし、仏を頼りとする強い縁によって、すべての衆生は多く仏となることができたのです。まして、阿闍世王(あじゃせおう)や韋提希夫人のような悪人たちは、とても仏になることなどかなわず、必ず阿鼻地獄に堕ちるはずでした。しかし、教主釈尊という偉大な存在に出会えたことで、ついには仏となることができたのです。

つまり、仏となる道は、善知識の存在に勝るものはありません。自分自身の智慧など、何の役にも立たないのです。たとえ、暑さや寒さを感じる程度のわずかな智慧でもあるならば、善知識の存在を大切にすべきです。

しかし、善知識に出会うことは、この世で最も難しいことの一つです。そのため、仏は善知識に出会うことを、片目の亀が浮木の穴に入り込むことや、梵天(ぼんてん)から糸を垂らして地上の針の穴に通すことに例えられました。それほど困難なのです。

さらに、末法の悪世においては、悪知識(間違った教えを説く者)が大地の微塵よりも多く、善知識は爪の上の土ほどに少ないのです。

 

補陀落山(ふだらくさん)の観世音菩薩は、善財童子の善知識として、別教・円教の二教を教えましたが、まだ完全な円教(純円)には至りませんでした。また、常啼菩薩(じょうていぼさつ)は、自らの身を投げ出して善知識を求め、曇無竭菩薩(どんむけつぼさつ)に出会いました。しかし、通教・別教・円教の三教を学んだものの、法華経を教えることはありませんでした。

舎利弗は金師(こんし・鍛冶屋)の善知識となって、90日教えましたが、結果として仏性を否定する一闡提にしてしまいました。また、富楼那(ふるな)は一夏(ひとなつ)の説法で、大乗の可能性を持つ人々に小乗を教えて小乗の人にしてしまいました。

大聖でさえ、法華経を説くことを許されないこともありました。※証果の羅漢でさえ、機根を見誤ることがあります。末法の悪世に生きる学者たちについても、同じことが推察できます。天を地と言い、東を西と言い、火を水と説き、星が月に勝るとか、蟻塚が須弥山(しゅみせん)を超えるなどと主張する者たちを信じる人々は、学ばない悪人よりもさらに劣ってしまうことでしょう。

※証果の羅漢(仏や菩薩が有する6種の神通力を得た阿羅漢のこと。阿羅漢とは、声聞の最高位)

日蓮は仏法を考察する際に、道理と証文を重視しますが、道理や証文以上に現証を重視します。さて、文永五年(1268年)頃のことです。東では俘囚(えびす=蝦夷)が起こり、西では蒙古が攻め寄せてきました。日蓮はこれを考え、「仏法を信じないためである」と結論づけました。この状況では、必ず調伏(敵を鎮める祈祷)が行われるでしょう。そして、その調伏は真言宗によるものになるだろうと考えます。

月支(インド)、漢土(中国)、日本の三国のうち、ひとまず月支を除けば、漢土と日本は真言宗によって破られる運命にあるでしょう。

善無畏三蔵が唐の玄宗の時代に中国へ渡った際、大旱魃(かんばつ)が発生しました。祈雨の法を行い、大雨を降らせたことで、皇帝から庶民に至るまで喜びましたが、その後すぐに大風が吹き荒れて国土が荒廃し、人々の信仰心は冷めてしまいました。同じように、金剛智三蔵が渡来した際も祈雨を行い、7日以内に大雨を降らせましたが、またしてもその後、大風が吹き荒れました。この出来事によって「真言宗は恐ろしい悪法だ」とされ、月支へ追放されることとなりました。しかし、かろうじてその地にとどまることができました。

また、同じ時代に不空三蔵が雨乞いを行い、三日以内に大雨を降らせました。その時も前と同様に人々は喜びましたが、その後さらに大きな大風が吹き、過去二回以上に甚大な被害をもたらしました。この嵐は数十日間も続きました。この出来事は非常に不思議なもので、日本の智者も愚者も誰一人として知りません。このことを知りたいと思うならば、日蓮が生きている間に詳しく尋ね、学びなさい。

日本では、天長元年(二天長元年、824年)の二月、大旱魃が発生しました。この時、弘法大師神泉苑で雨乞いを行うことになりましたが、守敏という者が進み出て、「弘法は地位が低い。我こそが上位である。まず私に命じるべきだ」と言いました。天皇はこれに従い、守敏に雨乞いを命じました。すると、七日以内に大雨が降りましたが、それは京都市中だけで、田舎には降りませんでした。その後、弘法大師が命じられて雨乞いを行いましたが、七日経っても、十四日経っても、二十一日経っても雨は降らず、最終的に天皇自らが祈り、雨を降らせたのでした。

それにもかかわらず、東寺(とうじ)の門人たちは「我が師の雨である」と主張しました。この件について詳しく知りたければ、記録を調べて学びなさい。これは天下第一の疑惑がある出来事です。

また、弘仁九年(818年)の春に起きた疫病流行や、三鈷(さんこ、密教の法具)を投げた事件についても、非常に不思議な誑惑(人を欺く行為)がありました。これについては口伝で伝えるべき内容です。

一方、天台大師は、陳(ちん)の時代に大旱魃が起きた際、法華経を読誦して瞬く間に雨を降らせました。その雨は大雨でも強風を伴うものでもなく、甘雨(かんう、穏やかで恵みのある雨)でした。王臣たちは頭を下げ、万民は手を合わせて感謝しました。その雨を見た陳王(ちんおう)は、天台大師のそばに居続け、内裏へ戻ることすら忘れてしまったほどでした。この時、三度の礼拝が行われたのです。

去る弘仁九年(818年)の春、大旱魃が発生しました。その時、嵯峨天皇は、真綱(まつな)という臣下を通じて冬嗣(ふゆつぐ)の進言を受け、伝教大師に祈雨を命じました。伝教大師法華経・金光明経・仁王経を用いて祈雨を行い、三日目には細い雲が広がり、静かに雨が降り始めました。これを見た天皇は大いに喜び、日本で初めての重要な施設である大乗戒壇を許可しました。

伝教大師の師である護命(ごみょう)という聖人は南都(奈良)の第一の僧でした。護命もまた四十人の弟子たちとともに仁王経を用いて祈雨を行い、五日目に雨を降らせました。しかし、五日は優れた成果であるものの、三日には及ばず、さらに雨が激しく降ったため、伝教大師に敗れた形となりました。このことからも、弘法の雨は過小評価されるべきです。

このように、法華経の威力は素晴らしく、真言は及びません。それにもかかわらず、日本が滅びる原因となりかねないのは、国が真言一辺倒になっているからです。隠岐法皇の件を思い返すと、真言を用いて蒙古(元)や蝦夷(えぞ)を調伏しようとしたことで、日本が敗れるのではないかと考えました。このことを命を賭けて明らかにしようと思い、言葉にした時には弟子たちは反対しましたが、今ではその意味が理解されていることでしょう。

私は、中国(漢土)や日本の智者たちが五百年以上もの間、誰も気づかなかったことを考え抜いて述べているのです。

善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)らが行った祈雨では、雨は降ったものの、それに伴って大風が吹き荒れたということについて、どのようにお考えになるべきでしょうか。たとえ外道の法であっても、取るに足らない道士の法でも雨を降らせることがあります。ましてや仏法であれば、小乗であっても法に則って行えば、どうして雨が降らないことがありましょうか。まして大日経は、華厳や般若経には及ばないものの、阿含経よりは少し優れております。ですから、祈れば雨が降らないわけはありません。

しかし、雨は降ったとしても、それに大風が伴うのは、その法の中に大きな誤りが混じっているからに違いありません。たとえば、弘法大師が三七日(21日間)祈っても雨が降らなかった時に、天子(嵯峨天皇)が自身の祈りで雨が降ったのを、弘法大師が「自分の祈りの成果だ」と主張したのは、善無畏らの失態をも上回る大きな誤りです。

さらに大きな妄言は、弘法大師自筆の書に「弘仁九年(818年)の春、疫病退散を祈ったところ、夜中に太陽が昇った」とあることです。このような虚偽を述べる人物なのです。この件は日蓮門下でも第一の秘密事項です。本来の文章を取り上げ、詳しく説明する必要があります。仏法についてはひとまず置いておくとしても、ここに記したことは、天下第一の重要な事柄です。この内容を軽々しく口にするべきではありません。

あなた様のご厚意により、このような重要な内容をお伝え申し上げることができました。どうか驚かず、よくお考えくださいませ。

 日蓮のことを、「これからどうされるのだろうか」と不安に思われているかもしれませんが、こうした事情がございます。もし蒙古の国(元)がさらに激しく攻めてくるようなことがあれば、法華経の教えがこの世に広まることもあるでしょう。しかし、あまりに激しい災難が降りかかった人々の中には、もしかすると嘆き悲しむ者も出るかもしれません。

外道と呼ばれるものは、仏が世に現れる八百年前に始まり、最初は二天三仙という形でしたが、次第に分かれて九十五種となりました。その中には多くの智者や神通力を持つ者もいましたが、誰一人として生死の苦しみから解脱することはできませんでした。また、外道に帰依した人々も、善い行いによっても悪い行いによっても、皆三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちてしまったのです。

それを見かねて仏が出世されたとき、九十五種の外道たちは、十六大国の王臣や民衆と手を組んで、時には論争し、時には暴力で妨げ、あるいは仏の弟子や支援者たちを無数に殺しました。しかし、仏はそのような妨害に屈することなく、こう強くおっしゃいました。「もし私がこの教えを人々に恐れて説くのを止めるようなことがあれば、一切衆生が地獄に堕ちてしまうだろう」と。そのため、仏は退くことなく教えを説き続けられたのです。この外道とは、かつての仏の教えを誤読し、間違って理解したところから生じたものでした。

今もまた同じような状況です。日本には多くの仏教の教えがありますが、その源流をたどると八宗・九宗・十宗から生じています。そのうち華厳宗などはさておくとしても、真言宗天台宗の優劣について弘法大師空海)、慈覚大師(円仁)、智証大師(円珍)が正しい法に迷って、論争したことが原因で、日本の人々はこの世では他国から攻められ、来世では悪道(地獄や餓鬼道など)に堕ちることになっているのです。

中国が滅び、また悪道に堕ちる原因も、善無畏、金剛智、不空といった人々の誤りから始まったのです。さらに、天台宗の人々も慈覚大師、智証大師以降、これらの人々の影響を受けて、天台宗の正統な教えのようにはなりませんでした。

ですから、私(日蓮)の弟子たちが「このような状況はどうにかならないだろうか。ましてや日蓮がこれらの誤った教えを超えることなどできるだろうか」と考えるのも無理はありませんが、仏が記した教えに違うことはありません。

涅槃経には「末法に入り、仏法を誤り伝えて無間地獄に堕ちる者は、大地の微塵のように多く、正しい教えを得られる者は爪の上の土よりも少ない」と説かれています。また法華経には、「たとえ須弥山を砕く者がいたとしても、末法の世に法華経を正しく説く者は稀である」と記されています。

さらに、大集経、金光明経、仁王経、守護経、八泥洹経、最勝王経などには、「末法に正法を実践する者が現れると、邪法を信じる者が王や臣下に訴え出るだろう。そして、王や臣下たちは他人の言葉を鵜呑みにして、正法を実践する者を捕らえ、攻め、流罪にし、あるいは命を奪うだろう。すると、梵天帝釈天、多くの天神や地神たちは、その国を守る賢王の身体に憑依して、その国を滅ぼすであろう」と記されています。まさに今の時代はこれらの経文に似た状況ではないでしょうか。

 そもそも、あなた方はどのような過去の善行によって、日蓮を訪われたのでしょうか。よくよく過去を尋ねたならば、何事もなく現世の苦しみから解放されることでしょう。例えば、すりはんどくのように、三年かかって十四文字の仏の教えを暗記して仏果を得る者もいれば、対照的に、提婆は、六万巻もの経典を暗記しても無間地獄に堕ちてしまった。これこそが末法の時代を象徴する現象です。決して他人事として軽視すべきではない。書き出せば切りがないので、この辺で筆を置きます。

そもそも、忙しい状況の中で、私が伝えたかったことはただそれだけでしたが、重要なこと、あまり驚かせるようなことは申し上げませんでした。

最後に、ささげ(豆の一種)と青大豆をいただいたことをお伝えします。



  六月二十二日    日蓮 花押
 西山殿御返事