2021-01-01から1年間の記事一覧
富木常忍はじめ門下一同に与えられたお手紙です。 法華経の行者が遭う難を示して、いかなる難に遭うとも退転することのないよう信心を励まされています。 当時は本抄にも記されているように、文永十年十二月七日に、佐渡の守護・武蔵前司宣時が大聖人を助け…
富木常忍に送られた短いお手紙です。 仕候なり (仕えておられます) 褒美に非ず実に器量者なり、 (誉めて言うのではないが、まことに器量者である。) 来年正月大進阿闍梨房と越中と之を遣わし去るべく候、 (来年の正月、大進阿闍梨房とともに越中にこれ…
本抄は文永11年5月17日、鎌倉を去って身延に入山されたその日に富木常忍にあてて出された短信です。その中に入山された身延の過酷な環境がうかがえ、またそれをありのまま記される中に、富木常忍への信頼のほどが拝せられます。 御書と通解 けかち申すばかり…
文永10年(1273年)11月3日、佐渡市野沢で著され富木常忍に与えられたお手紙です。 前の部分が欠けており、小袖のお礼を述べ、当時の飢饉や疫病の様子が記されています。 御書に通解も一緒に入れて書きました。 鵞目二貫給候い畢んぬ(受け取りました)、太…
文永9年4月10日、日蓮大聖人が51歳の時、佐渡一谷(いちのさわ)で表著され、富木常忍へ与えられた御消息です、大聖人が法華経の行者でありながら天の加護がない理由として、「一には諸天善神この悪国を去る故か、二には善神法味を味わわざる故に、威光勢力な…
本抄は佐渡に着かれた大聖人が、佐渡で最初に出されたお手紙です。別名を「願望仏国事」といいます。 短いお手紙ですが、佐渡の厳しい状況がさりげなく示され、淡々たる表現の故にかえって艱難(かんなん)のさまが思いやられます。 通解つきの御書 富木入道…
文永8年10月22日、大聖人が50歳の時、流刑地の佐渡へ向かう途中の越後国寺泊で著され、富木常忍に与えられた御消息です。 依智を立って佐渡へ向かう途中、寺泊で風待ちをしていることを述べられ、法華経や涅槃経の文を引いて一切の諸宗の者が大聖人に怨嫉し…
文永8年9月14日、相模国依智(現在の神奈川県厚木市)で著され富木常忍に与えられた。別名を越智滞在御書という。竜の口法難の直後、依智の本間邸へ移された間のことを記され、難にあってこそ成仏できるともご確信を述べられています。 短い御書ですが、竜…
今回も楽しく盛り上がった読書会でした。 次女は朝から光彩の章を読み始めて10時半からの読書会に間に合ったようでした。 始まってちょっとしてから長女が参加したと思ったら、孫の声が聞こえてきて、何言ってるのかわからないけど、一緒に参加してるつもり…
富木常忍に与えられた御消息です。 内容は富木常忍が釈迦仏を造立したことについて、その信心を喜ばれ、改元供養について指示されている。 講義より: 日蓮大聖人の仏法は下種仏法であり、脱益の釈迦像を造立することは誤りのはずである。 富木常忍の釈迦仏…
先週からリモートで新・人間革命の読後感想を話し合おうと娘二人と私で始めました。 一回目は第9巻の1章と2章の感想。長女は全部読めてなかったけど、それでも二人の話を聞けば内容がわかっていいだろうと参加しています。 今週は「光彩の章」の感想を話しま…
富木常忍に与えられた御消息です。 三世を知る者が聖人であると定義され、外道から法華経本門までの聖人を明かし、大聖人こそ末法の御本仏であることを示されています。さらに大聖人の諌言を用いず、かえって軽んじ迫害していることから、一国が総罰を受けて…
日蓮大聖人御書講義の第16巻の本が見つからなかったので、戸田先生の講義を見つけました。読んでいると面白い。昭和31年中之島公会堂で講義されたものです。 戸田先生も大阪だとユーモアのレベルが高い(笑) 御書は長くないですが、先生の講義は50頁もありま…
水火二信抄という題名から、ひょっとしてあの一節のある御書かなと、 ピンとくるかもしれないですね。そうなんです。それ! 1頁の御書なのですぐ読めますよ。有名な一節は3行です。太字にしましたよ。 まず、御書全部:通解は所々入れました( )の中です 上…
この御書も年代がはっきりしませんが、十二月十七日に著された御で、おそらくは建治三年(1277年)であろうとされています。南条時光に与えられたとされています。 御書は半頁ほどなので、通解を載せます。 <通解>(前半) 法華経の第二巻に「この宝乗に乗…
南条時光ではないが、それに縁のある人に与えられた御書と思われます。 大聖人が住まれていた草庵は相当荒れ果てていたようです。 通解: 去る文永十一年六月十七日に、この身延の山の中に木を伐ってかりそめの庵室を造った。四年ほどが経つ間に次第に柱は朽…
御執筆年月日については「七月二日」とあるだけで、年についての記載はないですが、建治元年(1275年)身延で認められたお手紙とされています。 稗の飯を供養した阿那律は如意という福徳を得て、法華経で普明如来の記別を与えられ、麦の飯を供養した迦葉は天…
別名を「禀権出界抄(ほんごんしゅっかいしょう)」、「禀権抄(ほんごんしょう)」または「第三法門抄」と言います。身延におられた大聖人から富木常忍に与えられた御手紙です。御書では2頁半くらいの長さです。私の御書には『むつかしい・SKIP』、と欄外に…
弘安2年11月25日、身延で著され、富木常忍の夫人に与えられた御消息です。 子息の伊予房日頂に法門を学んでいくように教え、大聖人が苦境の時に供養の誠を尽くした尼御前の信心を称賛されています。 短い御書なので本文を載せます。 いよ房は学生になりて候…
文永10年(1273年)5月、佐渡一谷(いちのさわ)から門下一同に与えられた。 観心本尊抄を著された後、鎌倉で難と戦っている門下一同を激励され、如説修行の姿を詳しく教示されている。 女子部時代に好きなところを暗誦していた御書で、大好きな御書の一つで…
富木常忍に与えられた御消息。 富木常忍が法華経本門の久成の教主釈尊と四菩薩が造立される時期について質問したのに答えて、末法がその時であり、それを顕す人が必ず出現することを明かし、仏法の上から見れば、法華経の行者である大聖人は世界第一の富める…
弘安二年、日蓮大聖人が58歳の時、身延から下総国の葛飾郡若宮に住む富木常忍の妻に与えられたお手紙です。 富木尼御前は夫の常忍が入道すると同時に剃髪して尼になり、妙常と号したと言われる。その人となりは温良貞淑で、よく夫を助けて、ともに信心を全う…
正嘉二年に書かれたものとされる、そうです。 上下巻に分かれている御書だと上巻にあるのは法門の難しい内容のが多いですよね。 御書を初めて読み始めるなら、下巻の御消息からの方がわかりやすいと思いますが、この御書はその難しい法門のとても大事なとこ…
建治4年(1278年)2月28日、身延で著され富木常忍に与えられた御消息です。常忍が亡き母の三回忌の追善のため大聖人へ青鳧(せいふ)銭七結をご供養したのに対し、お礼を述べておられます。 法華経に明かされている相対種開会と就類種(じゅるいしゅ)開会の…
身延で書かれた御消息です。宛名は富木常忍と推定されていますが、他の下総方面の信徒とも考えられます。 供養のお礼を述べ、十羅刹を夢に見たと知らせたことについて、心が固ければ倶生神の守りは強く、まして、道場を守る神においておやとされ、法華文句の…
経に云く「諸法実相」是なり、 そこで御本尊についてのご説明があったあとで、今度はこの御本尊についての文理を述べられています。方便品に諸法実相とある。所謂諸法、如是相、如是性、如是体と仰せられているのが、この御本尊であるということです。 妙楽…
戸田先生の日女御前御返事講義から なかなか今聞ける話ではないので、よかったら読んでください。(青字が御書です) 御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候い畢んぬ、 ここで日蓮大聖人に、この日女御前がお金を五貫、米を一駄、菓子…
富木殿御返事 建治二年十一月 五十五歳御作 鵞目一結天台大師の御宝前を荘厳し候い了んぬ、経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり」と、又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙…
この御書の最初のところです: 忘れ給う所の御持経、追て修行者に持たせ、之を遣わす。 魯の哀公云く人好く忘る者有り、移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云、孔子云く又好く忘るること此れより甚しき者有り、桀紂の君は乃ち其の身を忘れたり等云云、夫れ槃特尊…
建治二年(1276年)3月27日。日蓮大聖人が55歳のとき、富木常忍の妻、富木尼御前に与えられたお手紙です。富木常忍が母の遺骨を抱いて身延の大聖人を訪ねた際、病気の尼御前のために託されたお手紙です。 有名な一節があります。 「やのはしる事は…