2023-01-01から1年間の記事一覧
信解品六箇の大事第一 「信解品」の事 記の六に云わく「正法華には『信楽品』と名づく。その義通ずといえども、『楽』は『解』に及ばず。今、領解を明かす。何をもってか『楽』と云わん」。 御義口伝に云わく、法華一部二十八品の題号の中に、「信解」の題号…
第九 「今此三界(今この三界)」等の事 【ここは有名な「如来はすでに三界の火宅を離れて、寂然として閑居し、林野に安処せり」「今此の三界は、皆是れ我が有なり、その中の衆生は、ことごとく是れ吾が子なり、しかも今このところは、もろもろの患難多し、…
「御書の世界」とともに「法華経の智慧」と言う本も大好きなんです。 今回は「法華経の智慧」の本から感動の言葉を集めたいと思います。 (まず私の気持ちを書きます) 今の世界に求められるのは、確実に人間を変革できる宗教しかないと思います。 どんな哲…
昔、感動して読んだ「御書の世界」を今一度読んでみようと手に取りました。 大事だと思うところ書き溜めていこうと思います。 御書の核心は「広宣流布の大願」にある。 仏の悟りの生命から発する「広大な願い」である。 悟るというのは、この生命本来の願い…
第八 「唯有一門(ゆいういちもん)=ただ一門のみ有り)」の事 文句の五に云わく「『唯有一門』とは、上の『以種々法門 宣示於仏道(種々の法門をもって、仏道を宣示す)』を譬えている。『門』にまた二つあり。宅門と車門となり。宅とは、生死なり。門とは…
第七 「以譬喩得解(譬喩をもって解することを得ん)」の事 止観の五に云わく「『智者は譬えに因る』。この意、徴(しるし)有り」。 御義口伝に云わく、この文をもって鏡像の円融三諦(空・仮・中の三諦は相即して円融無礙(えんゆうむげ)であり、一つであ…
第六 「一時俱作(一時にともに作す)」の事 御義口伝に云わく、「一時」とは、末法の一時なり。「俱作」とは、南無妙法蓮華経なり。「俱」とは、「畢竟住一乗(畢竟して一乗に住す)」なり。今、日蓮等の類いの所作には題目の五字なり。余行を交えざるなり…
第四 「得仏法分(仏法の分を得たり)」の事 御義口伝に云わく、「仏法分」とは、初住の一分の中道を云うなり。【「仏法の分」とは、舎利弗が迹門の開三顕一の説法において、中道の悟りの一分を得て、初住の位にのぼったということである。】 「迹門初住、本…
第三 「身意泰然、快得安穏(身意泰然として、快く安穏なることを得たり)」の事 文句の五に云わく「『従仏』は、これ身の喜びを結するなり。『聞法』は、これ口の喜びを結するなり。『断諸疑悔(諸の疑悔を断ず)』は、これ意の喜びを結するなり」。 御義口…
第二 「即起合掌(即ち起って合掌す)」の事 【譬喩品の最初に「その時に舎利弗踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し、尊顔を1瞻仰(せんごう)して仏に言(もう)さく、今世尊に従いたてまつりて、此の法音を聞いて、心に踊躍を懐き、未曾有なるを得たり・・・」…
譬喩品九箇の大事第一 「譬喩品」の事 文句の五に云わく「『譬』とは、比況なり。『喩』とは、暁訓なり○大悲息まず、巧智無辺なれば、さらに樹を動かして風を訓え、扇を挙げて月を喩す」。 御義口伝に云わく、「大悲」とは、母の子を思う慈悲のごとし。今、…
第七 「於諸菩薩中 正直捨方便(諸の菩薩の中において、正直に方便を捨つ)」の事 文句の四に云わく「『於諸菩薩中』より下の三句は、正しく実を顕すなり。五乗はこれ曲にして直にあらず。(人・天・声聞・縁覚・菩薩の五乗の教えは、仏の本意ではない曲がっ…
(方便品八箇の大事より) 第六 「如我等無異 如我昔所願(我がごとく等しくして異なることなからしめん。我が昔の所願のごとき)」の事 (天台の)疏に云わく「因を挙げて信を勧む」。(仏の因位を挙げて、信心を勧めるのであると」説いている。) 御義口伝…
第五 「比丘比丘尼 有懐増上慢 優婆塞我慢 優婆夷不信(比丘・比丘尼の、増上慢を懐くこと有るもの、優婆塞の我慢なるもの、優婆夷の不信なるもの)」の事 文句の四に云わく「『上慢』と『我慢』と『不信』とは、四衆通じて有り。ただし、出家の二衆は、多く…
第四 「五濁」の事 文句の四に云わく「『劫濁』は別の体無し。劫はこれ長時、刹那はこれ短時なり。『衆生濁』は別の体無く、見・慢の果報を攬る。『煩悩濁』は五鈍使を指して体となす。『見濁』は五利使を指して体となす。『命濁』は色心を連持するを指して…
ちゃんと読まなければわかりにくいところです。難しいです。でも、ここは頑張ってわからないといけないって思いました。 本文は長いですが、講義は意外と短かったです。 一大事因縁を生命論の上からわかることですね。 生命の尊厳こそ一切の社会、人類にとっ…
方便品八箇の大事 第一方便品の事 文句の三に云わく「『方』とは、秘なり。『便』とは、妙なり。妙に方に達するに、即ちこれ真の秘なり。 (「方とは秘であり、便とは妙である。妙に方に達する、すなわち、妙法という万法の根源に秘密のうちに達することが、…
第七 「天鼓自然鳴(天鼓は自然に鳴る)」の事 【これは序品第一の「仏是の経を説きおわって、即ち法座の上において、跏趺して三昧に坐したもう。無量義処と名づく、天より曼陀華を雨(ふら)し、天鼓自然に鳴り、諸の天竜鬼神、人中尊を供養す」とあるとこ…
第六 「導師何故(導師は何が故ぞ)」の事 疏(じょ=ここでは天台の法華文句第三)に云わく「良(まこと)に(おも))んみれば、説法・入定して能く人を導けば、既に『導師』と称す」。 御義口伝に云わく、この「導師」は、釈尊の御事なり。「説法」とは無…
ちょっと間が空いてしまいましたが、前に法華経序品を書いていたので、続きを書きます。 第五 「下至阿鼻地獄(下阿鼻地獄に至る)」の事 御義口伝に云わく、十界皆成の文なり。(大聖人の御義口伝にはこのようにいわれている、十界の衆生がことごとく皆成仏…
南無妙法蓮華経と我が口にも唱え候故に、罵られ、打ちはられ、流され、命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや。 Because I chant Nam-myoho-renge-kyo with my own mouth, I have been reviled, struck, exiled, and had my life threatened. Ho…
譬喩品ということについて、文句の五には次のようにある。譬とは比況ー此れをあげてと比し、喩とは暁訓ー浅きによって深きを教えるのである。仏の大慈悲はやむことなく、巧みなる智慧は無辺に働くのであり、さらに迷う者のために、樹を動かして、風というも…
御書全集721頁 新版御書1005頁 第一 「譬喩品」の事 文句の五に云わく「『譬』とは、比況なり。『喩』とは、暁訓なり○大悲息まず、巧智無辺なれば、さらに樹を動かして風を訓え、扇を挙げて月を喩す」。 御義口伝に云わく、「大悲」とは、母の子を思う慈悲の…
すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり。 You should not have the slightest fear in your heart. It is lack of courage that prevents one from attaining Buddhahood, although one may have professed f…
当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは、秋の稲米、冬の菊花、誰かおどろくべき。 されば、日蓮、悲母をいのりて候いしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今、女人の御身として病を身にうけさせ給う。心みに法華経の信心を…
生涯いくばくならず。思へば一夜のかりの宿を忘れていくばくの名利をか得ん。また得たりともこれ夢の中の栄え、珍しからぬ楽しみなり。ただ先世の業因に任せて営むべし。 How long does a lifetime last? If one stops to consider, it is a single night’s …
一切経の功徳は、先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かかる故に不定なり。法華経と申すは、手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱うればその口即ち仏なり。譬えば、天月の東の山の端に出ずれば、その時即ち水に影の浮かぶがごとく、音とひびきとの同…
賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利(うるお)い・衰(おとろ)え・毀(やぶ)れ・誉(ほま)れ・称(たた)え・譏(そし)り・苦しみ・楽しみなり。おお心(むね)は、利(うるお)いあるによろこばず、おとろうるになげか…
命すでに一念にすぎざれば、仏は一念随喜の功徳と説き給えり。もしこれ二念三念を期すと云わば、平等大慧の本誓、頓教・一乗・皆成仏の法とは云わるべからず。 Moreover, as life does not go beyond the moment, the Buddha expounded the blessings that c…
経王御前には、わざわいも転じて幸いとなるべし。あいかまえて御信心を出だし、この御本尊に祈念せしめ給え。何事か成就せざるべき。「その願を充満すること、清涼の池のごとし」「現世安穏にして、後に善処に生ぜん」、(充満其願・如清涼池・現世安穏・後生…