御書大好き!!

御書を拝読して感動したことなどを書きます。

2022-01-01から1年間の記事一覧

大白牛車御消息 1584頁 新版/2050頁 60歳御作

(395) 大白牛車御消息 弘安4年(ʼ81) 60歳 そもそも法華経の大白牛車というのは、我も人も法華経の行者の乗るべき車である。彼の車をば、法華経の譬喩品に詳しく説かれている。ただし、彼の御経は、羅什が略して訳したゆえに、委しくは説いていない。天竺…

上野殿母御前御返事 1583頁 新版/1926頁 60歳御作

講義録では別名を「所労書」となっており、新版御書では「大聖人の御病の事」となっております。 最後のところは、大聖人も死期が迫っていることを伝えながら、もし自分が尼御前より先に亡くなったならば、故五郎殿にお会いして母の嘆きを伝えましょうと言わ…

上野尼御前御返事 1580頁 新版御書1912頁 60歳御作

別名を「烏竜遺竜の事」「烏竜遺竜事」といいます。 弘安3年11月15日、身延から南条時光の母御前に送られた御消息です。 古い講義録では弘安4年となっていますが、新版御書では弘安3年になってますね。したがって聖寿も59歳と。御書全集も日蓮大聖人御書講義…

兵衛志殿御返事 (深山厳冬の事)1098頁 (新/1494頁) 57歳御作

弘安元年十一月二十九日、身延から池上宗長に与えられた御消息です。宗長が銭と厚綿の小袖を御供養したことに対する御返事で、別名を「深山厳冬の事」もしくは「厳冬深山御書」といいます。 宗長の御供養の志をたたえて、特に寒さが厳しかったその年の身延の…

上野殿御返事 1579頁 新版御書1925頁 60歳御作

短い御書です。別名「時国相応御書」また「時国相応の事」といいます。 最初の芋は石の如しとあるのは、保存用に干したため石のように堅くなった里芋だからである。そのあとの形容も面白いですね。ごぼうは大牛の角のごとし、大根は大仏堂の大釘ごとし、と。…

南条殿御返事 1578頁 新版御書1923頁 60歳御作

別名を「法妙人貴事」「鶏冠書」といいます。 (340) 南条殿御返事(法妙人貴の事) 弘安4年(ʼ81)9月11日 60歳 南条時光 塩一駄・大豆一俵・とっさか一袋・酒一筒、頂きました。 上野国より御帰宅後は、いまだお会いすることがなくて、御様子を知りたいと…

上野殿御返事 1577頁 (新・1922頁) 60歳御作

別名を「法華経難信の事」といいます。 (339) 上野殿御返事(法華経難信の事) 弘安4年(ʼ81)3月18日 60歳 南条時光 蹲鴟(いも)一俵、いただきました。またこうぬし(神主)のもとにいる御乳塩(の馬)一匹、ならびに口付き一人がいる。 さては故五郎殿…

上野尼御前御返事 1575頁 新版御書1920頁 60歳御作

別名を「聖人御書」とも、「霊山再会の事」とも言います。 内容は尼御前が子息・五郎を亡くして、年が明けた正月に年賀の状と、故五郎の菩提を弔うための種種の御供養をたまわったことに対して、御供養を謝し、年始の言葉を述べられるとともに、故五郎の死を…

上野殿御返事 1574頁 新版御書1918頁 59歳御作

別名を「須達長者御書」と言います。 本抄の内容は、時光が自身の苦境をも顧みず、身延の大聖人のもとへ銭一貫文を御供養したことに対し、金色王、須達長者、利吨尊者の故事を引き、時光が法華経の行者である大聖人に御供養する功徳が、いかに大きいかを述べ…

両人御中御書 1101頁 新版御書1500頁 58歳御作

本抄は大聖人の弟子であった大進房が退転して死に、その坊が空き家になったので、早く日昭の坊と合併して広くするよう仰せになったお手紙です。 この御抄の背景はよくわかりませんが、御文から、大進房が池上氏の請いによって、その地に坊を建立していたと思…

孝子御書 1100頁 (新版御書1499頁) 58歳御作

(181) 孝子御書 弘安2年(ʼ79)2月28日 58歳 池上宗長 御親父御逝去の由、風聞真にてや候らん(うわさは事実なのでしょうか)。貴辺と大夫志の御事は、代末法に入って生を辺土(日本)にうけ、法華の大法を御信用されたのであるから、悪鬼定めて国主と父母…

兵衛志殿御返事 1097頁 (新版御書1491頁)57歳御作

弘安元年六月二十六日、大聖人が57歳の時身延で著され池上宗長に与えられた御消息です。味噌一桶のお礼を述べられ、大聖人の病まれていた下痢が四条金吾の薬によって治ったと言われています。 177) 兵衛志殿御返事(病平癒の事) 弘安元年(ʼ78)6月26日 57…

兵衛志殿女房御返事 1097頁 新版御書1485頁 56歳御作

(175) 兵衛志殿女房御返事(牧牛女の事) 建治3年(ʼ77)11月7日 56歳 池上宗長の妻 銅の御器二つ、給び畢わんぬ(いただきました)。 釈迦仏三十の御年、仏の悟りを開こうとしておられたときに、牧牛女といわれた女人が、乳の粥を煮て仏に差し上げようとし…

立正安国論 後半部分 24頁8行目(新版御書34頁初めから)

その中でも法然聖人は、幼少にして天台宗比叡山に登り、十七歳にして六十巻を読破し、ならびに八宗を究め、つぶさに大意を得た。その外、一切の経論を七遍も繰り返し読み、章疏伝記(注釈書)は究め尽くした。その智恵は日月にひとしく、徳は先師を越えてい…

立正安国論 17頁 (新版御書24頁)前半部分(33頁まで)

久しぶりに立正安国論を読もうと思います。昔、最初の1頁くらいを暗誦したことがあって、大好きな御書の一つなんですが、今回読むのが遅くなってしまいました。 昔から座談会で「現代版立正安国論」という脚本を作って落語みたいにやるか、あるいは二人で掛…

阿仏房尼御前御返事 1307頁 (新版御書1729頁) 55歳御作

建治元年(1276年)九月三日、身延で著され、佐渡の阿仏房の夫人・千日尼に与えられたお手紙です。 謗法の浅深・軽重によって罪報はどうなるのか、との千日尼の質問に答えた御返事で、別名を「畷(なわて)堅固御書」と言います。 (262) 阿仏房尼御前御返…

妙法曼陀羅供養事 1305頁 (新版御書1726頁)

佐渡で著され千日尼に与えられた御消息です。 (261) 妙法曼陀羅供養事 文永10年(ʼ73) 52歳 (千日尼) 妙法蓮華経の御本尊、供養いたしました。 この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世の諸仏の御師であり、一切の女人の成仏の印文である。冥…

慧日天照御書 1297頁 (新版御書2164頁)

前後が欠落した御消息で、御術作の年月や宛名は不明です。ご真筆の存在も不明です。 釈尊の幼名を日種、成道してからは慧日(大聖尊)といい、この国を日本といい、主を天照(太神)という、と述べています。 (449) 慧日天照御書 もって一閻浮提の衆の眼を…

兵衛志殿御書 1095頁 新版御書1492頁 57歳御作

弘安元年(1278年)九月九日、身延で著され、池上宗長に与えられた御消息です。別名を「親父(しんぷ)入信御書」といいます。 文字通り池上兄弟の父・康光が入信したことを喜ばれたお手紙です。 新版御書1492ページ (178) 兵衛志殿御書(親父入信の事) …

兵衛志殿女房御書 1094頁 新版御書1482頁 

建治三年(1277年)三月二日、大聖人が56歳の時に身延から池上宗長の夫人に送られたお手紙です。別名「儒童菩薩御書」 前に仏器を供養し、今回は尼御前が身延へ参詣するのに大事な馬を遣わして乗せていった志を喜び、儒童菩薩と瞿夷の故事を通して夫人の…

上野殿御返事 1537頁 (新版御書1864頁)56歳御作

別名を「梵帝御計事」といいます。 南条時光が御供養とともに、信心をやめさせようと意見する者がいることを報告したことに対する御返事です。 概略を載せておきます。 尹吉甫(いんきっぽ)【周の宣王の臣下で、異民族である玁狁を征伐した】をだました後妻…

本尊供養御書 1536頁 (新版御書1862頁)55歳御作

南条平七郎に与えられたお手紙です。 平七郎は上野郷の南条時光の一族と思われ、成出郷で給田を持っていた武士でしたが、詳しいことはわかりません。御本尊への御供養をしたことに対して、法華経の功徳を「須弥山に近づく鳥は金色となるなり、阿伽陀薬は毒を…

九郎太郎殿御返事 1535頁 (新版御書1861頁)55歳御作

建治二年九月十五日、身延で著され、南条氏の一族の九郎太郎に与えられた御消息。 大聖人のもとへ御供養として里芋を送り届けたことに対して、身延では里芋は珍しいことを述べ、、その真心を讃えられています。 短い御書なので現代語に直しておきました。 (…

南条殿御返事 (大橋太郎抄) 1531頁 (新版御書1856頁)55歳御作

建治二年三月二十四日、身延で著され南条時光に与えられた御消息です。 別名を「大橋太郎抄」「大橋書」「報南条七郎次郎書」とも呼ばれている。 (308) 南条殿御返事(大橋太郎の事) 建治2年(ʼ76)閏3月24日 55歳 南条時光 かたびら一つ・しおいちだ・あ…

南条殿御返事 1530頁 (新版御書1855頁) 55歳御作

1855ページ 建治二年三月十八日、身延から南条時光に与えられたお手紙です。 時光が橘三郎・太郎太夫とともに御供養したことに対する御礼のお手紙です。 時光の供養が成仏の因を積んだことになると、妙荘厳王や須頭檀王の例をひいて述べられています。 (わ…

南条殿御返事 1529頁 (新版御書1853頁)55歳御作

別名を「現世果報御書」といいます。「春始書」「初春書」ともいいます。 時光の真心からの供養の功徳によって、時光自身が現世に大果報を得られるだけでなく、亡き父への追善になることを教えられています。 新版御書1853~1854頁 (306) 南条殿御返事(現…

上野殿御消息 1526頁 新版御書 1850頁 54歳御作

別名を「四徳四恩御書」と言います。 1275年、大聖人が54歳のとき、身延で書かれて南条時光に与えられたお手紙です。 外典における四徳と内典(仏教)における四徳をあげて、法華経を信じ行ずる者はおのずから四徳が具わり、この経を受持することは、即四徳…

神国王御書 1516頁 (新版御書 671~685頁)54歳御作

建治元年(1275年) 身延で著されました。対告衆は不明です。 【内容を簡単にまとめました】 我が国が神の国であることを述べ、仏教の伝来によって日本国は一閻浮提の内、八万の国にも超えた神仏守護の国となったと明かしています。 本来なら神仏の加護が深…

題目弥陀名号勝劣時 111頁 新版御書797頁

対告衆は不明。 題目と念仏とを対比させ、その勝劣を明らかにするところが本抄述作の目的である。 新版御書の本文を載せます。 797ページ (056) 題目弥陀名号勝劣事 文永元年(ʼ64) 43歳 南無妙法蓮華経と申すことは唱えがたく、南無阿弥陀仏・南無薬師如…

当世念仏者無間地獄事 104頁 新版御書787頁

文永元年(1264年)9月22日、安房国花房の蓮華寺で浄円房に与えられた書。 小松原の法難の50日前にあらわされた書である。 787ページ (055) 当世念仏者無間地獄事 文永元年(ʼ64)9月22日 43歳 問うて曰わく、当世の念仏者は無間地獄と云うこと、その故い…